2020年11月29日日曜日

世田谷一家殺害事件 (参) 複数犯の可能性?? 

 【犯人は2~3人組ではないか?】


この事件において複数犯説というのはたびたび議論されています。

その最たる根拠となっているのが、犯人が侵入経路又は逃亡経路に使用したと思われる浴室の窓にあった網戸です。


事件以前は二階の浴室の窓には網戸が取り付けられていたが、事件発生後には網戸は外され綺麗にフェンスへとキチンと立て掛けられていた。

それも被害者宅側ではなく、公園側のフェンスにだ。


ちなみに公園側にあったとされる足跡も、犯人のものだと断定できるほどハッキリしたものではなかったそうです。


犯人が単独犯の場合「犯人が投げて偶然フェンスに落下して立った」という可能性はほぼ無いと思う。

何故ならば普通に投げただけではフェンスには立たたず、また綺麗に立って置かれている為である。


「網戸が公園側のフェンスに立てかけられていた」この事実だけを考察すると、何故犯人は網戸を立て掛けたのか?という疑問がある。


考えられる可能性はいくつかある。


1、犯人が二階の浴室窓から侵入する時に網戸が邪魔になり網戸を外した。

しかし網戸を投げて下に捨てると音が出ると思った犯人は網戸を持ったまま再度地面まで下りて公園側のフェンスに網戸を立て掛けた。


2、犯人が逃走時に浴室の窓を使用し、網戸が邪魔になったので外した。

外した網戸は公園側のフェンスに立て掛けた。


3、犯人が二人組の場合ではあるが、犯人の一人が二階の浴室の窓から侵入する時に網戸が邪魔になり下で見張りをしていた人物に手渡した。

手渡された人物は公園側のフェンスに立て掛けた。



細かく可能性を探ると上記以外にも沢山の例があると思うが、おおむね上記のいずれかの可能性が高いのではないだろうか?



個人的には2の可能性は無いと思っている。

一刻も早く現場から逃げたい筈であるのに、わざわざ網戸を立て掛けはしないだろうと思う。

これは立て掛けるという行為自体が「ある程度の余裕があり、緊迫した状況ではない」と思うからだ。


1に関しては単独犯であり、音を出さない事に細心の注意を払っていたのであればこの様な行動をしてもおかしくないと思う。

しかし2度手間になる行為であり、目撃者を作りたくない犯人は早く浴室内に侵入したかったのではないだろうか?

急いでいれば一回地面まで下りず、浴室からの侵入時に外した網戸も入れれば良いと思う。(網戸がサイズ的に入らなかった可能性もあるが…)


3に関しては複数犯の場合の例ではあるが、個人的には共犯者がいたのではないかと思っている。

具体的な人数は2~3人。

浴室の窓から侵入時に、下で見張りをさせていた共犯者に外した網戸を渡したのだと思う。



ちなみに「網戸が自然落下した」は無いと思っている。

1つだけ確かな事は人為的な力が加わっていると言う事である。

何故かと言うと、浴室窓から公園フェンスまでは、90cm程離れている。

窓の高さは地上から3m程あり、フェンスの高さは1m80cm程の高さだという。

自然落下するにしても90センチの幅を越えなければいけない。

さらに真下ではなく、1メートルくらい横に移動しながら綺麗に縦に着地しなくてはいけない。

これは明らかに人為的な力が加わったと言っても過言ではないだろう。



さて、「何故網戸を外したのか?」であるが、一つだけ間違いないのは「網戸が邪魔だから外した」だと思う。


何故邪魔になったかであるが…


●侵入時に引っ掛かった?

●網戸が固着しており動かなかった?

●動かすとギシギシとかキーという大きな音が出た?


辺りだと思う。


いずれにせよ網戸は外された。

この網戸はおそらく警察に証拠品として押収されている。

現在の宮澤家にはこの網戸が嵌っていないからだ。


報道では以下の様になっている。

●窓の真下の地面辺りから犯人の靴跡とよく似た大きめの足跡が発見されており、同じく窓の真下の公園フェンス付近の木の枝も折れていた。

特別捜査本部が検証した結果、若者なら2階の浴室から無理なく侵入可能なことが明らかになっている。(読売新聞 2002年12月28日付)



そして気になる事がある。

事件当日は換気の為に開けっ放しになっていたか、浴室の窓に鍵がかかっていたかは不明だが、写真を見る限りでは鍵がかかっていても容易に判断可能だ、もちろん昼間に限るだろうが…


しかし、浴室窓に鍵がかかっていたとしても、犯人が複数犯であれば簡単に解除は可能。

その理由と考察は後に記述します。




それでは、「犯人は2~3人組」だと言う僕の考察を実際の犯人の行動と照らし合わせて記述していきます。


犯人はみきおさんと顔見知りだと思います。(少なくとも最低一人は。)

尚且つ、事件前にもみきおさん宅に入ったことがある人物で、家の構造と家族構成を把握している人物だと思います。


報道ではみきおさん宅のスリッパから犯人のDNAが検出されています。



●捜査関係者によると、捜査本部が、スリッパに付着していた皮膚や汗などの微物を鑑定したところ、現場の床に付着していた犯人の血液のDNA型と一致することが確認された。

現場には宮沢さんらの血液が付着した犯人の土足の足跡が多数発見されたが、事件当日、スリッパで歩き回った跡は確認されておらず、犯人は事件前に宮沢さん宅を訪れ、スリッパを履いた可能性があるという。

( MSN産経ニュース 2011年12月29日)

https://web.archive.org/web/20111229113557/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111229/crm11122902020003-n1.htm



と報道でありますが、当日スリッパを履いた可能性も否定できないと思っています。

何故ならば随所で犯人は痕跡を消しているのではないかと思われる節が感じられます。(理由は後述します)



そして家の構造を知っている人物との考察ですが、みきおさん宅と入江杏さん宅は外から見ると繋がっており玄関が2つある為、一見して二世帯住宅だと判別できます。


家の構造や家族構成を事前に知らなければ、逆に反撃される可能性があると考えるのが自然であると思います。

あと、防音されていて隣に音が伝わりにくい家だと言うのも知っていた可能性もあるかもしれません。


みきおさん宅は、みきおさんが設計しており入江杏さんの本の記載ではみきおさん宅では防音対策を施していたとの記述があります。


そして事件当日の入江杏さん宅では入江さんの長男が三階で就寝、入江杏さんと旦那さんは二階の実母の部屋の隣にて就寝したとの事です。

実母はテレビを点けっぱなしで寝てしまう事が多いので入江杏さんと旦那さんは耳栓をして寝るのが習慣になっていたそうです。

完全に眠りについたのが午前1時過ぎで、耳栓はしていたもののきっちりとはしていなかったそうですが、どれほど思い返しても変わった物音ひとつ無かったそうです。

しかし風がときどき吹く日であり、たまに風の音はしていたとの事。



よく言われる報道では、

●30日午後11時半から31日午前零時にかけて、宮沢さん宅で「ドスン」という物音がするのを近所の人が聞いており、犯行はこの時間とみられる。(2001年1月3日朝日新聞)


とあるが、この報道が何に基づいているかと言うと、入江杏さんの長男が聞いた「カタンという音を11時半頃に聞いたと思う」という証言だ。

この「カタン」という音は「べニア板をひっくり返すような音」だとの事。


長男は3階にて就寝しており屋根に小さな窓が付いている、そのため隣接する公園の音や、道路を隔てた公園を滑るスケートボードの音も聞こえてくる事もあったという。

しかし、のちに現場検証した結果、隣の物音は全くと言ってもいい程聞こえないというのが証明されたそうです。




【犯人の侵入手口の考察】


【浴室の窓に鍵がかかっていなかった場合】


・犯人が2人組の場合、犯人の一人(A)が浴室から侵入し、もう一人は下で侵入時の見張り役(B)。

・(A)は浴室から侵入したらしばらくはその場で待機。

・(A)の侵入を確認した見張り役(B)は正面玄関に行き家に入る。

(つまり、みきおさんと顔見知りで来客として入る)

・(B)が入ってしばらくしたら(A)は礼君を襲う。

・何らかの異変を察知し二階へと向かい階段を登るみきおさんを(B)が下から急に包丁で襲う。


注)みきおさんは太股を下から上にかけて刺されていた。

みきおさんのスリッパは階段途中で脱げていたが、2階へ逃げようとしたみきおさんを犯人が後ろから刺したとみられている。


つまり太股の傷はこの時に出来たのではないだろうか?





【浴室の窓に鍵がかかっていた場合】


・犯人が2人組の場合、犯人の一人(A)が浴室から侵入しようと試みるが鍵がかかっていて侵入不可、もう一人は下で侵入時の見張り役(B)。(この時に網戸を外したのかもしれない)

・(A)は下に降りて暫く身を隠す。

・見張り役(B)は正面玄関に行き家に入る。

(つまり、みきおさんと顔見知りで来客として入る)

・(B)が二階にあるトイレを借りる。浴室はトイレの向かい側なので浴室の窓の鍵を開ける。

・(A)が浴室の窓から侵入

・(B)が何食わぬ顔で一階に戻ったら(A)は礼君を襲う。

・何らかの異変を察知し二階へと向かい階段を登るみきおさんを(B)が下から急に包丁で襲う。




【犯人が三人組の場合】


・犯人の一人(A)が浴室から侵入し、一人は下で侵入時の見張り役(B)、もう一人の犯人(C)は玄関から入る(みきおさんと顔見知り)

(A)の侵入を見届けたら(B)はその場から逃亡(通称 「飛び出しマン」)

逃亡は事前に定められていた事で逃走時の車両確保か、あまりの修羅場に恐ろしくなり逃亡したかのどちらか?




さて、浴室の窓から侵入したと仮定した場合、2つの問題が出てきます。


●「犯人が持ち込んだユニクロのエアテックジャンパーに擦った痕が無い」

●「風呂場の窓やサッシに摩擦痕が無く、繊維も付着していなかった」


風呂場の窓のサイズは高さ50cm、幅40cmであり何処にも擦らずに出入りするのは至難の業です。


遺留品のエアテックジャンパーに擦った痕がないとの事なので玄関から入った犯人が着用していたと思います。

遺留品のジャンパーに擦った痕がないと言うこと事態が玄関から入った事になるのでは?


「風呂場の窓やサッシに摩擦痕が無く、繊維も付着していなかった」

これについて、摩擦痕がないと言うのは不思議ですが、繊維に関してはもし付着していたとしても、風で飛んで行ったのではないかと思います。

犯行時間帯は「ときどき風の音がしていた」と入江杏さんの本に記述があったので風ではないかと…



浴室の窓から侵入したと報道され思われている根拠は、


●風呂の窓の近くの湯沸かし器の室外器に足を掛けたような跡があった。

●捜査員が現場検証したら、風呂の窓から侵入する事ができた。


です。


そして、全国の警察署に「世田谷一家殺害事件の捜査のポイントをまとめたDVD」を配布している。

その中に、「侵入経路は浴室の窓からだ」と、身内に配布する資料の中で述べている。


この件にかかわらず、一般的に報道されていない証拠を警察が発表していない可能性は大いにある。





【第3の凶器の存在?】


[2001年1月4日 産経新聞]

■遺留包丁と異なる傷型 犯人の血液はA型

東京都世田谷区の会社員、宮沢みきおさん(四四)一家四人が殺害された事件で、犯人は現場で見つかった包丁二本のほかに、第三の凶器を犯行に使った疑いのあることが四日、警視庁成城署捜査本部の調べで分かった。


これまでの調べでは、みきおさんと妻の泰子さん(四一)、長女のにいなちゃん(八つ)の三人には、上半身を中心にのどなど十数カ所を刃物で切られた傷があり、台所には犯人が持ちこんだとみられる真新しい柳刃包丁と、宮沢さん宅にあった文化包丁の合わせて二本が置かれていた。


司法解剖などの結果、みきおさんの太ももには斜めに深く刺した傷があり、残されていた二本の包丁でできたものよりも深く、形状も一致しないことが分かった。


このため捜査本部は、犯人が包丁のほかに鋭利で長い凶器を使って宮沢さん一家を襲ったとみている。

捜査本部では犯人がこの凶器を持ち去ったとみて特定を急ぐ一方、宮沢さん宅にこうした形状のものがなかったかどうか確認を進めている。



【剣鉈を警察は捜査していた?】


(2009/11/22 05:31)

4~5年前に鉈として買った刀と同種のものが、世田谷一家殺害事件で使われて販売元のリストから刀狩が行われました。我が家にも警察が来て出してほしいと言われた

https://okwave.jp/qa/q5466316.html



この第三の凶器の存在だが、警察は公表していないし報道自体が間違っているという可能性もある、後追い報道もないため参考程度にして欲しい。





【犯人が玄関から入ったかもしれない事について】


●犯行時刻、一階にいたみきおさんは起きており、電気がついていたとされている。

一階の電気は110番通報を受けた警察が到着するまでつけっぱなしになっていた。


●泰子さんは黒のスウェット上下姿、ブラジャーを付けていた。

礼君は横縞(青と黒)綿のハイネック+紺のトレーナー、白っぽいズボン。

にいなちゃんは黄色の上下?。

(入江杏さん著書より引用)

寝る時の格好であると思われる。


対してみきおさんは、黒のタートルネック、黒のズボンにベルトをしていた。

そして泰子さんがブラジャーを着用との事で、「ふだん寝る時にはブラジャーはしないと思う」「お風呂の後はブラジャーはしないと思う」と入江杏さんの著書にはある。

両名ともちょっとした来客には対応出来そうな印象を受ける。


特にみきおさんは、これから寝る前の服装とは思えない。

単純に就寝前か、来客の予定があったのか?


姉が色も鮮明ではないポラロイド写真にて判別したが、事件前に母、姉、泰子さんら三人で車でUNIQLOに一緒に行った、その時に購入した黒のタートルネックではないか?との事。


だとしたら寝間着にするには早すぎると思ったと…


そして子供たちは入浴後であると思うが、この様な年齢の子たちを一人で入浴させるだろうか?おそらく泰子さんが一緒に入ったと思うが、それならばなぜ泰子さんはブラジャーをしていたのか?

年末であり、やる事があったのかもしれないが来客があるからとも考えられないだろうか?




【犯人の遺留品】


●ユニクロ製「エアテックジャンパー」

袖口からは犯人の血液型と同じA型の汗が検出された、返り血は付いていなかったと報道されている。


●黒い防寒手袋

犯行時に使用された形 跡がなかった。


いずれも二階の居間(リビングで)発見されたが、犯行時には着用していないと考えられている。

そのため玄関から入った段階で脱いだのではないだろうか?

犯行終了後に二階の居間に放置したか?




【犯人の指紋、足跡についての考察】


NHKの未解決事件の特番では9個の指紋ありと報道。

他の報道等では10数個の指紋があると報道されているが、いずれもこの様な犯罪にしては少なく、犯人は手袋をしていたと考えられるが、指紋自体が偽装、わざと残した可能性がある。


足跡についても40個ありとの報道があるが、指紋と同じく明らかに少ない物であり、意図的に残されたか偽装の可能性がある。


この事件について一番気になったのが水を張った浴槽内に色々な物を投げ込んでいたという点である。

過去にもブログで記事&動画にした事があるが、指紋が残っている期間は、付着している物質と周辺の保存環境によって大きく変わる。


ガラス、プラスチック、ビニール、金属などは2~3ヶ月程で指紋が消えてしまい、屋外だと乾燥や直射日光による紫外線の影響で2~3週間で消えてしまう。


さらに、雨に濡れてしまったりすると、すぐに消えてしまう。


紙類は、何十年でも指紋が消えずに検出することができるが、これも直射日光のあたる場所やカビの生えるような湿気の多い場所だと、おおよそ1~2年で消えてしまう。


いずれにせよ水に濡れると指紋は消える。


浴室には事前に水が張ってあったのか、犯人が水を張ったのかは不明だが、犯人は指紋は水に消えると言う事を知っていたのではないか?


知っていたからこそ一階の引き出しを二階に持って行って書類等を浴槽内に入れていったのではないだろうか?




【計画的な犯行】


犯人は狡猾で事件の流れを完璧に計画していた可能性が高いと思っています。

そして残留している多くの遺留品はあたかも単独犯に見せかける様な印象操作が行われている気がしてなりません。


ちなみに報道では…


●発見時に玄関の扉の鍵は閉まっていた。

また、玄関のドアのノブなどから犯人の痕跡(指紋や血痕など)も発見されなかった。(毎日新聞 2001年1月29日付)


一方で、玄関の痕跡については、駆けつけた警察や救急隊員によって踏み荒らされてしまったという報道もある。


事件判明直後と思われる写真を見て見ても玄関の道路前に多くの捜査官がおり痕跡は完全に消えてしまったのではないだろうか?


そして室内にばらまかれていた服や書類類は痕跡を消すためにわざとしたのではないだろうか?

書類や服を足で踏んで雑巾の様に床に擦り付けて痕跡をふき取ったとかは考えられないだろうか?


上記の様な考察を基に犯人像を考えると、一見滅茶苦茶な犯人の行動にも目的がある様に感じられる。




ちなみに興味深い足跡の採取方法が乗っていたので下記に引用します。

足跡採取の方法はさまざまだ。

土砂面などへこんだ場所では石膏を流し込み、室内では粘着シートを使う。靴の裏にはどうしても小さなホコリがつくので、平らな床だけでなく、絨毯や畳の上であっても、帯電シートをかぶせて静電気をあてると、歩いた靴底の形のままにホコリが浮かび上がる。

それを粘着シートなどに転写して密封するのだ。専用の資器材も小型化と精密化が進み、採取できる場所の幅は広がっている。

「日本は足跡について世界一の技術を持っている」と誇る。

「日本人は土足で室内を歩かない。現場に靴底の痕があったら、犯人のものである可能性が高い。そういう背景が優れた技術の発展につながっている」

https://www.sankei.com/premium/news/160503/prm1605030021-n1.html



【考察】

●犯人は複数犯2~3人。

●事前に計画された犯罪。

●単独犯に印象付けする様な偽装工作がされている。

●少なくとも犯人の一人以上はみきおさんの顔見知り。

●下側から引き出しを開けていく手口や、指紋を残さない知識があるとすれば犯罪慣れしているかのような印象を受ける。

2020年11月24日火曜日

世田谷一家殺害事件 (弐)一橋文哉の正体

●一橋文哉の正体

一橋文哉はペンネームであり、本名は広○○○美。

「サンデー毎日」元副編集長。

ちなみに、一橋文哉の由来は「一橋=千代田区一ツ橋=毎日新聞
&文哉=ブンヤ=新聞記者」と考えられている。

Wikipediaに本名こそ載っていないものの、詳しく書かれている。

一橋文哉という名前からして、藤村由加の様に複数記者等の集団執筆というふうに考察されてもいるが、広◯さんでほぼ間違いなさそうだ…
(藤村 由加(ふじむら ゆか)、4人の女性執筆者集団のペンネーム。佐藤まなつ、北村まりえ、榊原由布、高野加津子の4人の名前から一文字ずつ取っている。)

毎回必ず〝犯人〟に会い、〝新事実を発見〟するなど、〝世紀の大スクープ〟を連発している。しかし、その後、新聞やテレビが後追い報道したことは無い。



●「早川清」が育てた“スター・ライター”「一橋文哉」の正体

『週刊新潮』編集長の早川清氏は、1978年(昭和53)年に入社後、93年までの15年間、同編集部に属したあと、93年4月から月刊誌『新潮45』に在籍していた。そこで7年ほどを過ごしているが(うち2年は編集長)、その間、著名な“スター・ライター”を発掘・育成してきたことはあまり知られていない。

 その最大のものは「一橋文哉」なる、その名では実在しない、架空名称のライターの存在であろう。すでに新潮文庫でも5冊の著作があり、新潮ノンフィクションにおいては売れ筋になっているようだ。かつてこのライターについては、休刊した『噂の真相』誌が二度ほど取り上げたことがある。

●『新潮45』のオウム・ウォッチャー 一橋文哉の盗用常習で発覚した“正体”(96年7月号)

●『新潮45』を舞台に活躍するスターライター 一橋文哉のノンフィクションの手口――世田谷一家惨殺事件ルポに見る過剰な創作表現と盗作疑惑、そしてその“正体”とは‥。(2002年7月号)

 いずれも一橋の記事に対し、“盗作疑惑”を指摘したものだが、『噂の真相』誌で指摘された「サンデー毎日にいたH記者」なる人物がだれのことを指すかは、業界内ではさまざま取りざたされてきた。

 だがこのほど、一橋が執筆した『オウム帝国の正体』(2000年7月刊)なる書物に対し、カザフスタン国籍の女性らが名誉毀損で訴えていた民事裁判で、1月末、東京地裁は「請求棄却」の判決を出した(その後原告側は控訴)。注目されるのは、判決文の最初のページに記載された次の文字である。

 「一橋文哉こと広野伊佐美」

 広野氏は元毎日新聞記者で、『サンデー毎日』編集部に所属したこともある。つまり、「H記者」に該当する人物だが、毎日新聞東京本社の住所が「一ツ橋」なので、そこから誕生した筆名との説を裏付けた格好である。
上記の裁判で、被告の一橋本人は出廷せず、かわりに証人として出廷したのが、なぜか週刊新潮の「早川清」と「竹中宏」の両氏だった。
早川氏は尋問において、一橋の本名は「一切明らかにしていない」「個人名をあげることができない」と繰り返し、自身が、“一橋文哉取材班”なる社内外の複数の者によって構成される“秘密グループ”の『とりまとめ役』であることを明らかにしている。

さらに裁判官から、「広野さんが執筆にかかわったということでよろしいですか」と尋ねられると、早川氏は「そのことについては私どもは争いませんし、お答えは控えさせていただきたいと思っています」と回答。

同じ日(2004年10月1日)に出廷した竹中氏は現在、週刊新潮編集部に所属する記者だが、フォーカス編集部に属した時代、“一橋取材班”の一人であったようである。

いずれにせよ、「一橋文哉」は、かつて『噂の真相』誌で指摘された“盗用常習”なる重大疑
惑に対し、釈明したことは一度もない。≪新潮ジャーナリズム≫としては、“名折れ”の事態ではないのか。

世田谷一家殺害事件 (壱)

 【事件概要】


警視庁による事件の正式名称は「上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件」である。

本事件では一家4人が自宅で何者かによって殺害されたが、年月が経過した現在も未だに犯人の特定や逮捕には至っておらず、未解決事件となっている。また、最大2000万円の「捜査特別報奨金制度対象事件」にも指定されている。


・2000年(平成12年)12月30日23時頃から翌31日の未明にかけて、東京都世田谷区上祖師谷3丁目の会社員宅で、

宮澤みきおさん(当時44歳)

妻・泰子さん(当時41歳)

長女・にいなちゃん(当時8歳)

長男・礼君(当時6歳)

の4人が殺害された。


宮澤みきおさんは英国系の経営コンサルタント会社社員(正確にはCI、コーポレート・アイデンティティ)で、泰子さんは自宅で「公文式」の学習塾を経営していた。

隣りには泰子さんの実母と姉夫婦(入江杏さん)が住んでいた。


宮澤さん一家がここに越して来たのは1990年6月。

みきおさんや入江家、泰子さんのお母さんの3家が共同出資で購入を決めた場所だった。

当時はこの住宅地に30軒ほどの家が並んでいたが、公園用地拡張事業による整備が進んだため、他の住民は次々と引っ越しており、そのため事件当時は4世帯しか残っていなかった。


すでに土地売買契約を済ませていた宮澤さん一家も2001年4月までに埼玉県内に引っ越す予定だった。


被害者の胃の内容物などから、殺害の推定時刻は30日23時30分ごろとされている。


被害者4人の発見時、全員の顔に服や布団がかけられるなどして顔が隠れた状態であり、犯人が見えないように隠した疑いがある






【みきおさんの状態】


みきおさんの死因は「胸部刺創による心・大動脈損傷に基づく失血死」。

前頭部、顔面、胸部、左右上腕、左太股などに無数の切創群があり、文字通り、メッタ刺しの状態だった。


みきおさんの頭後部に、先端が折れた「関孫六(銀寿)」の柳刃包丁の残片が突き刺さった形で発見された。


遺体北側には、みきおさんの動脈から噴出したとみられるB型の飛泡血痕が付着した段ボール箱が遺体を覆い隠すように置いてあった。

その表面には頭毛をかたどった血痕がべったりと残されていたことから、みきおさんが力尽きて倒れたその場所にあった段ボールを犯人が後に移動させたとみられている。


みきおさんの殺害状況について当初、捜査本部内でも見方が分かれた。


「みきおさんは2階にいて犯人と鉢合わせして刺され、階段下へ突き落とされたのではないか?」という見方が当初あった。

しかし、みきおさんは太股を下から上にかけて刺されていた。

これは犯人が2階から下りていき、1階でみきおさんを襲ったことを物語っている。

みきおさんのスリッパは階段途中で脱げていたが、2階へ逃げようとしたみきおさんを犯人が後ろから刺したとみられている。


みきおさんの体の上には机の引き出しが乗せられていた。




【泰子さんの状態】


浴室とトイレの間にある2階の廊下では、泰子さんとにいなちゃんの遺体が重なり合うように倒れていた。


泰子さんの直接の死因は「心タンポナーゼおよび出血性ショック」となっている。

解剖医の解説によると、これは泰子さんに向けられた刃が心臓を覆う心膜を貫き、心臓まで達したため、心膜腔内に320ミリリットルもの血液がたまり、鼓動を止めてしまった状態を示すという。


だが、その遺体に残った無数の傷は犯人に刺されても刺されても、娘を守ろうと最後まで必死に戦い、力尽きた姿を浮き彫りにしていた。


泰子さんの頭部、顔面、頸部、背中、右左上肢には無数の切創、擦過、打撲痕があった。

(家族の中で一番状態が酷く、顔を執拗に狙われたとの報道もある)


血痕から犯人は、みきおさんをメッタ刺しにして先端が折れた関孫六の包丁を持って3階のロフト(屋根裏部屋)に上がり込み、ここで寝ていた泰子さんと、にいなちゃんをいきなり刺したとみられている。


その後、犯人はいったん、ロフトの梯子を下り、2階の台所にあった洋包丁を取りに行った。

この隙に泰子さんは傷口から血を流しながら、にいなちゃんを抱え、ロフトの梯子を下り、逃げようとしたとみられている。


現場に長女の血のついたティッシュペーパーが落ちていたことから、犯人は母親が負傷した長女の手当てをしているのに気がつき再び襲った可能性がある


梯子の周囲には泰子さんの血が真っすぐ滴り落ちた痕が多数、残っていた。


まだ生きている事に気付いた犯人が阻止しようと洋包丁でトドメを刺したと思われている。


顔にはたんすから物色されたとみられる洋服がかぶせられていた。




【にいなちゃんの状態】


最後まで生きていたのはにいなちゃんとされる。

正座したような格好のまま、うつぶせで死亡していた。


にいなちゃんの死因は「後頭部刺創による頸髄損傷」となっているが、解剖所見では頭蓋骨に硬膜下出血、外傷性くも膜下出血の跡があること、上顎左から1本目と下顎右から3本目の歯がそれぞれ欠損していたことが記されていた。

硬膜、くも膜下出血は生存中でなければ、血腫が鮮明に現れない。


なので、これらの傷跡はまだ生存中、犯人から逃れようとしたにいなちゃんが殴打されるなどして歯を折られた可能性がある。


犯人はにいなちゃんの首の後ろから洋包丁で頸髄、甲状腺、食道までを貫き、殺害したとみられている。


母親の脇でうずくまるように顔を下に向けていた。




【礼君の状態】


礼君は2階の子供部屋のベッドの上でうつぶせのまま、死亡していた。


礼君の死因は「頸部圧迫による窒息死」で、その首筋には左側に3点、右側に1点の内出血痕があったことが捜査報告書には記されていた。


これは犯人が右手とその指を使って気道を圧迫し、扼死させたことを示している。

現場の状況から礼君が最初に殺害された可能性が高いというが、なぜ、一人だけ扼殺だったのか、未だに謎は解かれていない。


二段ベッドの下段にてうつ伏せの状態で、頭から布団が被せられていた。




【犯人の行動】


家中のタンスを引っかき回し、みきおさんの遺体のすぐ後ろにあった納戸などの引き出しはすべて引き抜かれていた。


その引き出しの1本を2階まで運び上げ、中にあった物を全部、浴室の浴槽内へ投げ込んでいた。


犯人は泰子さんのハンドバッグ2個も2階トイレへ持ち込み、便座に座って用を足しながら、物色した形跡もある。


水を張ったままの浴槽には泰子さんの薄緑色の財布、みきおさんの財布、家の鍵、書類などを投げ捨てており、その中に混じって犯人のA型の血液が付着し、血を拭ったとみられる白いタオル、つぶれたアイスクリームのカップ状容器1個など、さまざまな物が浮沈していた。






【殺害時の順番】

犯人は2階子ども部屋の二段ベッドで寝ていた長男を殺害後に、異変に気づき2階に上ってきた父親を襲い殺害。


屋根裏部屋の布団から母親と長女の血液が発見されたため、最後に屋根裏部屋(3階)で寝ていた母親と長女を襲って殺害したとみられている。








【事件の発覚】


犯人は被害者宅の電話線を抜いていたとみられている。


料理に使う白だしを泰子さんに貰おうとした実母が、内線電話を鳴らすが通じないのを不審に思い31日の午前10時40分すぎに被害者宅を訪問。

呼び鈴を鳴らしても反応がないため合鍵で中に入り事件が発覚した。


気丈にも実母は家族全員を確認。

その時に浴室の窓が開いている事も確認している。


惨状を目の当たりにした実母は、入江宅に戻ると入江さん一家を伴って再度みきおさん宅へ行った。


その後すぐに通報。


警察に通報があったのは午前10時56分ごろ。






【犯人の入出経路】


犯人の入出経路は、被害者宅の裏(公園側)にある2階浴室の窓とみられているが、普通に被害者宅を訪れた可能性もあり、玄関から入った可能性も指摘されている。


浴室の窓は開いており、網戸は外にはずれ落ちていた。また、窓の真下の地面辺りから犯人の靴跡とよく似た大きめの足跡が発見されており、同じく窓の真下の公園フェンス付近の木の枝も折れていた。

(読売新聞 2002年12月28日付)


特別捜査本部が検証した結果、若者なら2階の浴室から無理なく侵入可能なことが明らかになっている。


現場に残されていた犯人のものと思われるダウンジャケットには擦れたような跡もなかった。





【犯人の滞在時間】(パソコンの話も含む)


当初、犯人は翌31日の朝方まで事件現場に居座っていたと推測されていたが、事件発生から14年が経過した2014年、別の疑いが出てきた。


犯行後、犯人が朝方まで居座っていた根拠となったのが、PCの起動履歴であった。

住宅1階にあったパソコンは、31日午前1時18分と午前10時ごろの2回、起動していた。

そのため、警視庁は「犯人は朝まで宮澤さん宅にいた」と見ていた。


しかし、後々の捜査で、正確にPCが起動していたのは、31日午前1時18分から5分18秒の4分間だけと判明。

(ちなみに、この4分間内にフォルダを作成したり、劇団四季のホームページにアクセスしていたことが判明している)。


それが再び起動したのが、おおよそ9時間後となる午前10時だが、その際には、一つのウェブサイトを表示したまま移動はしておらず、マウスは机から椅子の上に落下した状態だった。


第一発見者である泰子さんのお母さんが現場の部屋に入ったとみられているのが午前10時ごろ。それらを考慮し直し、警視庁は「午前10時のPCの起動は、泰子さんのお母さんが誤ってマウスを落とし、その落下によって生じた誤作動の可能性がある」という結論に至った、と報道ではある。


しかしながら警察発表とは明確な時差が生じる。

実母は31日の午前10時40分すぎに被害者宅を訪問しており、パソコンが起動したという午前10時とは辻褄が合わない。


そして警察に通報があったのは午前10時56分ごろ。


実母は宮澤さん一家全員を確認し終わった後、入江杏さん宅に戻り、入江杏さんらを呼んで再度宮澤さん宅を確認しに行っている。

そうして通報という流れだ。


時間的に見ても実母が宮澤さん宅に行ったのは午前10時40分過ぎで間違いないと思う。





一部報道では、31日未明には被害者宅の電気が消灯していたという通行人の証言も出ている。





【警察の捜査】


警視庁は、事件に少しでも接点を持つ人物をしらみ潰しに捜査してきた。

殺害されたみきおさんや泰子さんと仕事上の関係があった人。

自宅周辺住民や交友関係。

さらに事件発生日に現場近くの千歳烏山駅や成城学園前駅などを利用した人達の切符類を回収して、指紋を調べる捜査まで行っている。

警視庁は事件直後に出国した人物に関しても捜査を行ったが、追い切れていないと言うのが現状であろう…

事件から20年が経ち、警視庁は犯人が既に死亡している可能性も含めて捜査を行っている。

実は事件直後の2001年1月以降、世田谷、狛江、調布などその他周辺で起きた自殺や死亡事故を捜査したこともあったという。








【入江 杏さんの著者、疑問点】


・みきおさんの死亡時の服装は黒のタートルネック、黒のズボン、ベルトである。

これから寝る前の服装とは思えない。

単純に就寝前か、来客の予定があったのか?


姉が色も鮮明ではないポラロイド写真にて判別したが、事件前に母、姉、泰子さんが車でUNIQLOに一緒に行った。

その時に購入した黒のタートルネックではないか?との事。

だとしたら寝間着にするには早すぎると思ったと…


・泰子さんの死亡時の服装は黒のスウェット上下、下着はブラジャー。

姉曰く、普段寝る時はブラジャーはしないと思う、との事。



●みきおさんが設立した祖師谷パークスタジオの看板が現在も玄関先にも掛かっている。

(塗料はこの可能性??警察は流石に調べているか…)






【2チャンネルでの犯罪予告】


2チャンネルの「ペット大嫌い板」の「妄想不可★本物の虐待体験のみを語ろう!」というスレッドにて事件以前に犯罪予告ともとれる書込みがある。


以下原文↓


170 :黒ムツさん:2000/12/27(水) 17:03

俺は3歳のガキの頃から鼠を刺し殺し、又はては烏に与え、これを13歳に成った今でも続けている。其れと並行して犬も殺すことを7歳の頃に覚えた。最初に殺すのもあまり躊躇いは無かった事が鮮明に記憶に残っている。俺に突然噛み付きかかって来た体長約60cmの少し大き目の犬だった。一発蹴るとまだ噛み付きかかって来やがるので、俺は犬の腹を引き続き蹴った。何発蹴ったのか覚えていない。死んだ時には其の犬は口から大量の血を流し、腹からは内臓が少し食み出ていた。勿論今でも此れは野良犬を見掛けるとやる。いまでは蹴る力も倍増し、手でバラバラにする事さえ躊躇わないようになった。悪臭がするがそんなこと気に為ない。猫にも時々同様のことをやる。猫を顔を含め包帯でぐるぐる巻きにした上で、内臓を切り裂いて取り出し、道路に放り出して置く。すると烏が咥えて持って行ってしまうか、自動車に引かれて余計に悲惨な光景に成る。が、其れがまた快感だ。友達とどちらの結果に転がり込むか賭けをしたことさえある。最近では人間を切り裂いて内臓を見たいとも考える。あの歌舞伎町で起きたビデオ屋爆破事件の容疑者の少年が供述していたように。今では隣の幸せそうな家族を見るとあの大分一家殺傷事件のようにしてしまいたいとも思う。決行日は12月31日午後11時59分だ。21世紀がやって来る前にちゃっちゃと殺ってしまおうか考えている。



以上の書き込みを読むと、





た、その他にも犯行前後の2000年12月26日および翌年1月4日において「主犯」と「実行犯」がネットで連絡していたのではないかと騒がれた書き込みもあった(それぞれ「J9」「H」と名乗っていた)








【韓国が指紋認証に応じてくれない噂】


・世田谷一家○○事件 の犯人は韓国人が一番有力視され、ICPOを通じて韓国政府に捜査協力要請しているが、応じてくれないという噂があった。

しかし、その後、韓国警察庁に指紋照合を要請した結果、韓国側は自動指紋識別システム(AFIS)に登録された指紋の中に一致するものはなかった、と回答してきたという情報あり。(一回目は拒否、二回目で照合してくれたとの話もある。)


ネット上では嫌韓のネタにする様に韓国が指紋照合に応じてくれないと書かれるがそのような事実はない。


・東亜日報・

日本警察、一家殺人犯を最後まで追跡する 東亜日報 02, 2015 08:24,

現場では、数十個の指紋も検出され、前科照合をした結果、初犯であることが分かった。


犯人が履いていた運動靴が韓国製ブランドだということが分かり、韓国にまで捜査員を派遣して、韓国人前科者らの指紋と照合したが、同じ指紋を持った韓国人を探すことができなかった。

(他に読売も書いていたとの情報あり要確認)




【韓国の指紋事情】


・韓国では満17歳以上の韓国国民の場合は住民登録証を作る過程で指紋情報を登録する。

韓国は全国民に一連の個人識別性を持つ住民登録番号を付与し、全国民の10指の指紋採取が義務化されている世界でも例がない国。

そのため、指紋を採取すれば2時間以内に身元確認が可能。 


・韓国捜査チームの指紋鑑識技術の優秀性は2004年12月にタイで発生した津波事故現場で知られている。

米連邦捜査局(FBI)も韓国の指紋鑑識技術に関心を持ち技術を学んだりした。 



ネット上では「ある一冊の本」のせいで犯人プロ説(韓国人軍人説)というものが根深いが、僕はこの説には甚だ疑問である。

何故ならば韓国人であれば上記の様に指紋情報は必ず登録されるし、韓国での従軍経験があるというのならば指紋照合に引っ掛からないのは何故だろうか?(過去に他の国に居ようが韓国で従軍するのならば確実に指紋は登録されそうなものだが…)


戸籍を抹消されるようなガチのプロなのだろうか?(そのような存在がいるのかはともかく)

上記の様に、政府が関与する様な公認のプロであればこの様な手荒で雑な犯罪は起こさないであろう。










●ピッキングツールを使用しての鍵開錠?


「犯人は、改造錠解器具がついた特殊なスイスアーミーナイフ(万能ナイフの一種)をつかって玄関のドアの鍵を開け、そして、ドアのチェーンまで叩き切って侵入。」と一橋文哉氏の著書にあるが、正直???である。


それであれば警察は玄関から侵入で間違いないと断定するはずだし、ピックツールを使用するのならまだしも鍵解除器具が付いた十得ナイフ状の物を使用する意味が分からない。(絶対使いにくいと思う)


複数種類がまとめられたピッキングツールであれば幅広い鍵に対応可能だし、ドアのチェーンをたたき切るような行為をすれば大きな音が出るのは明白である。

静かなピッキング行為をするのに何故チェーンを叩き切るのか謎。

それならバール使用してのこじ開けや、窓を割れば良いと思うだが・・・





●一階の仕事部屋で採取された徴量のグレーの皮革片


一階の仕事部屋で採取された徴量のグレーの皮革片は、鑑定の結果、「プレイデッド・タスラン・ブーツ」と呼ばれ、 足音を消去するため軍隊などで使われる特殊な革製ブーツのものと判明。(世田谷一家殺人事件 韓国マフィアの暗殺者/一橋文哉)


と言う様な情報があるが、確度の低い情報と言わざるを得ない。

そもそも僕自身ミリタリー装備好きだが「プレイデッド・タスラン・ブーツ」なる物を知らないし、世田谷事件関連以外での検索ヒットは無い。

軍隊や特殊部隊で採用されてようが軍隊で正式採用された装備はミリタリーオタク達が知らない筈がない。

検索にも引っ掛からない、オタク達の話題にも上らない、というのは異常である。

個人的にも興味があるので是非実物をお目にかかりたいものだ。




●宮澤さん宅で発見された止血帯のラテックスゴム破片


浴室内より採取されたゴム編は、軍隊で止血帯として使われているラテックスゴムの破片と判明。

右手を怪我した犯人は最終的にこれを使って、完全に止血していたとみられている。(世田谷一家殺人事件 韓国マフィアの暗殺者/一橋文哉)


とあるがこの情報については、本誌でしか触れられておらず情報としては不確かなものである印象を受ける。

他の情報ソースも調べてみたが該当する情報は無かった。











●当日みきおさんと口論する男(公園で)とかローダミンとか西友のカメラ

●事件当日の夜22時頃に、泰子さんと男が言い争う声が聞こえたという証言

●フリーライターの唐沢俊一氏もみきおさんとはアニメ同好会の知人で指紋とられたようだ。

●警察は地蔵を重要視している?

一般人には知られていない恐らく重要な証拠があったのではないか?

例えば犯人と同一のDNAが付着していたとか…










●虚偽の捜査報告

5月12日、警視庁は虚偽の捜査報告書を作成したなどとして、小平署地域課の警部補(当時57歳)を虚偽有印公文書作成・同行使容疑で書類送検し、停職3ヶ月の懲戒処分とした。警部補は周辺住民から任意で指紋を採取するなどしていたが、自分や妻の指紋を添付した報告書を提出していた。

同日、警部補は辞職した。調べでは、警部補は捜査本部がある成城署に生活安全課員として勤務していた2001年(平成13年)5月~2004年(平成16年)6月の間、現場周辺の聞き込みや指紋採取の報告書を偽造し、捜査本部に提出した疑い。

提出された報告書は35通で、住民ら延べ44人に対する虚偽の聞き込み内容と採取指紋が添付されていた。指紋は自分と妻のものだったという。「住民が不在だったり、捜査への協力が得られないことがあった。

放置すると全体の捜査が遅れると思った」と動機を供述しているという。

 

6月22日、東京地検は虚偽有印公文書作成などの容疑で書類送検された元警視庁警部補について起訴猶予処分とした。