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2026年3月24日火曜日

8年ぶりに電子レンジを買った。「持ったら負け」という自縛を解いて見えたもの…


 ミニマリストとまではいかないけれど、シンプリストよりは確実に持ち物が少ない。そんな中途半端な距離感で「持たない暮らし」を続けてきましたが、先日、ついに電子レンジを購入しました。


実はここ8年ほど、電子レンジのない生活を送っていたんです。


なぜ持っていなかったのか。それは、自分の中に「丁寧な暮らし=レンジを使わない」という、一種の固定概念があったからかもしれません。


レンジって、どうしても「手抜き」とか「雑」なイメージがつきまといますよね。コンビニ弁当や冷凍食品、添加物……そんな「丁寧じゃないもの」の象徴のように思えて、どこかで「所有したら負け」みたいな変な意地があったんです。


電子レンジ購入の要因は「丁寧」よりも「時間」が切実になったからです。

最近はとにかく時間がありませんでした。

仕事や日々の雑務に追われ、今まで通りに自炊を続けるのが物理的に厳しくなってきたんです。




生活環境が変われば、必要な道具も変わる。

「時短をして、なんとか日々のサイクルを回したい」

そんな切実な理由から、8年間の沈黙を破ってレンジを迎え入れることにしました。




文明の利器は、やっぱり凄かった

8年ぶりに使う電子レンジは、一言でいって「便利すぎる」の一言です。

パックご飯でも冷凍食品でも、数分で温かい食事が用意できる。これはもう、疑いようのない文明の利器であり、立派な生活必需品だと痛感しました。


確かにレンジはデカいし、重いし、見た目も決して「シンプル」とは言い難いかもしれません。

でも、レンジを導入したことで生まれた「時間」という余裕は、何物にも代えがたいものでした。




「丁寧さ」の定義を書き換える

かつての僕は、「手間をかけること」が丁寧な暮らしだと思い込んでいました。

でも、忙しさに心をすり減らしながら無理に自炊を続けることが、本当に豊かなんだろうか?と。


今の自分にとっての丁寧さは、道具を賢く使って、捻出した時間で一息つくことなのかもしれません。


今後、また生活が変われば手放すこともあるかもしれませんが、今の僕にはこれが必要です。

この便利な相棒と一緒に、忙しい日々を少しだけ身軽に乗り切っていこうと思っています。


2025年6月14日土曜日

Twitter(X)のアカウントを削除しました。

全く動かしていなくて、読み専となっていたTwitter(X)のアカウントを削除しました。

物欲へのコンタクトは今後はブログ&YouTubeのみです。


何故アカウント削除までするのかというと、仕事が順調で単純に忙しいから。

あと、やる意味あるのかな?と思いました。


SNSを何か所も運用する時間もないし、やる意義もないのかなと…思い始めたらアカウント削除してました。

生活回りもシンプル&ミニマルにして生きたいと思っていて、もっと早く削除すればよかったです。


ブログに関しては文字ベースで長文書けるし画像や動画も貼れるので削除はないと思いますが、Twitterに関しては別でした。

僕は延々と情報を追ってしまうためTwitterに時間を使い過ぎており、他にもやる事が大挙しているのに無駄な時間を過ごしていたと今では思います。

その情報って知識欲を満たすだけで何か役に立つの?という事が多かった。


案外、人生は短い。

つい最近まで色んな事や関わる必要のない事に時間を使って過ごしていたりしましたが、無駄な時間の消耗は一番避けなければいけないなと最近は思っています。

2025年2月27日木曜日

得る事で満たされるように感じられる欲望は苦の始まり

 仏教では苦を取り除くことを目標としている。


仏教における「苦」とは、苦しみや悩み、精神や肉体を悩ませる状態を指す。対義語は楽。 仏教は無常、苦、無我の3つで三相を形成する。四諦の4つすべては苦に関する真理である。仏教は、この苦の滅尽をめざす学問体系である。

出典…https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A6_(%E4%BB%8F%E6%95%99)


人間は収集癖があると思う…

人間の欲を仏教用語では五欲(ごよく)と呼び、「食欲、睡眠欲、財欲、色欲、 名誉欲」の五つに分けている。

宗派によってはさらに分ける場合もある。

人生の大半の時間を、この欲を埋めるために使うのが凡夫だと思う。

欲望には限りがなく、満たされなければ渇き、満たしても渇く。

際限のない欲の循環は苦の始まりだ。

人間…というか生物は、欲に振り回され苦しむ事が当たり前ともいえる。


仏教における悟りは全ての欲を滅し解脱(涅槃)に至る事を言う。

言葉で理解できても、それが心底腑に落ちないと意味がない。と僕は思う。


で…長くなって申し訳ないのだが以上が前置きです。

個人的に思うのは、現代社会では容易に欲望を叶える事が出来るので僕を含め欲に振り回される人間が多いなという印象を受ける。

企業の広告もそうだし、街に出れば消費させようという努力が見える。

ネットを開けば広告が溢れているし、個人に合わせた購買欲を刺激してくる。

知識もそうだ。

ネット上ではわからない事が無いのでは?というほど知識が満たされる。


デジタルデトックスやミニマリスト、シンプルライフが流行っているが当たり前だ。

現代社会は多くのモノに囲まれ過ぎている。

欲を叶えなくても実はもう満たされていて気づいていないだけ、というのを心底理解しなければいけない。

常日頃どうにかしたいなと思うが、どうにもなっていない僕も凡夫の一人だ。

2025年1月28日火曜日

ただ物を捨てるだけではない行為

 

ミニマリストを目指している物欲です。


いやいや、物欲はミニマリストじゃないじゃん…

こんな声が聞こえてきそうであるが、僕の自宅の荷物は非常に少ない。


軽デコトラや他の車両も所有して、倉庫には色々な荷物があるが、自宅以外の荷物は仕事に使う物なので、どうしても必要なのだ。

現在は自宅の荷物を減らしている所で、現在はミニマリストとシンプリストの中間位の荷物量だ。

目標はミニマリストで、両手で持てる位の荷物量で生活する事だ。



仕事の荷物に関してのコンパクト軽量化は、まだまだ時間がかかると思っていて、登山の装備&ウェアもあるが、登山系の物もだいぶ削ぎ落とされている。


自宅の荷物を減らし始めて2年ほど経ち、荷物はだいぶ少ないが特に不便もなく、何故あんなに多数の物に囲まれて生活していたのか不思議なくらいだ。


大きな家電でいうと、自分のテレビは10年くらい所有していなかったが、近年は電子レンジ、冷蔵庫も所有していない。

服の固定化によって大量の服も処分した。

本に関しては事件系やデコトラのが多少あるがそれでも少ないと思う。


物を捨てる、処分するという行為は執着を手放しているのだと感じている。

僕が物を断捨離するときは、その品物をよく見て観察して本当に必要かどうか熟考する。

この品物が自分の人生に及ぼす影響すら考えて必要か不必要を判断している。

思い出の品は写真に撮って見返せるようにしている。

思い出自体が捨てるネックになっているパターンが多いので写真に撮れば良いと判断した。

冷たい人間だね、と人は言うかもしれないが、スマホがあればどこでも見れて思い出す方が押し入れに入れっぱなしよりいいのではないだろうか?


職業柄、高齢者のご自宅にお邪魔する事が多いが、だいたいの方が荷物量が多い。

デカい家具に多くの荷物。

おそらく多くの物を所有するという事が富の象徴、憧れのような世代の方々だと思う。


結局のところ、僕も含めて生き物はいつ亡くなるかわかないのだ。

大事に集めたコレクションや、苦労して買った家、多額の預金なんかもあるかもしれない。

それらを全て片付けるのは残された人で、とんでもない労力がかかる。


あの世に持っていける物はないのだ、自分の肉体ですら置いていくのに。

僕は苦労してとったトロフィーや賞状、卒業アルバムすら断捨離して写真にすら撮っていない。

自分にはもはや必要ないと判断したからで、写真に撮らなくても思い出が必要ならば長年覚えているものだと思っているからだ。

2024年7月20日土曜日

断捨離でシンプリストへ

「物欲に負け続ける男」は意外かもしれないが定期的に断捨離しています。

これは自宅での話で、倉庫兼仕事場では仕事道具もありごちゃごちゃしています。


断捨離しても月日が経つと物が増えていくので定期的に断捨離せざるを得ないのだが、いい加減この流れをやめたくて、かなり大量に捨てました。

ミニマリストと言えるほど物は少なくないけれどシンプリストと言っても過言ではないほどになったと思います。


それに合わせて物の入れ替えをし、普段使いのバックパックやPC周辺機器などを購入し古い物は捨てました。


あとは物を極力買わず、物の点数を増やさず捨てていけばミニマリストになれるはず…?