ミニマリストを目指している物欲です。
いやいや、物欲はミニマリストじゃないじゃん…
こんな声が聞こえてきそうであるが、僕の自宅の荷物は非常に少ない。
軽デコトラや他の車両も所有して、倉庫には色々な荷物があるが、自宅以外の荷物は仕事に使う物なので、どうしても必要なのだ。
現在は自宅の荷物を減らしている所で、現在はミニマリストとシンプリストの中間位の荷物量だ。
目標はミニマリストで、両手で持てる位の荷物量で生活する事だ。
仕事の荷物に関してのコンパクト軽量化は、まだまだ時間がかかると思っていて、登山の装備&ウェアもあるが、登山系の物もだいぶ削ぎ落とされている。
自宅の荷物を減らし始めて2年ほど経ち、荷物はだいぶ少ないが特に不便もなく、何故あんなに多数の物に囲まれて生活していたのか不思議なくらいだ。
大きな家電でいうと、自分のテレビは10年くらい所有していなかったが、近年は電子レンジ、冷蔵庫も所有していない。
服の固定化によって大量の服も処分した。
本に関しては事件系やデコトラのが多少あるがそれでも少ないと思う。
物を捨てる、処分するという行為は執着を手放しているのだと感じている。
僕が物を断捨離するときは、その品物をよく見て観察して本当に必要かどうか熟考する。
この品物が自分の人生に及ぼす影響すら考えて必要か不必要を判断している。
思い出の品は写真に撮って見返せるようにしている。
思い出自体が捨てるネックになっているパターンが多いので写真に撮れば良いと判断した。
冷たい人間だね、と人は言うかもしれないが、スマホがあればどこでも見れて思い出す方が押し入れに入れっぱなしよりいいのではないだろうか?
職業柄、高齢者のご自宅にお邪魔する事が多いが、だいたいの方が荷物量が多い。
デカい家具に多くの荷物。
おそらく多くの物を所有するという事が富の象徴、憧れのような世代の方々だと思う。
結局のところ、僕も含めて生き物はいつ亡くなるかわかないのだ。
大事に集めたコレクションや、苦労して買った家、多額の預金なんかもあるかもしれない。
それらを全て片付けるのは残された人で、とんでもない労力がかかる。
あの世に持っていける物はないのだ、自分の肉体ですら置いていくのに。
僕は苦労してとったトロフィーや賞状、卒業アルバムすら断捨離して写真にすら撮っていない。
自分にはもはや必要ないと判断したからで、写真に撮らなくても思い出が必要ならば長年覚えているものだと思っているからだ。
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