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2026年3月24日火曜日

8年ぶりに電子レンジを買った。「持ったら負け」という自縛を解いて見えたもの…


 ミニマリストとまではいかないけれど、シンプリストよりは確実に持ち物が少ない。そんな中途半端な距離感で「持たない暮らし」を続けてきましたが、先日、ついに電子レンジを購入しました。


実はここ8年ほど、電子レンジのない生活を送っていたんです。


なぜ持っていなかったのか。それは、自分の中に「丁寧な暮らし=レンジを使わない」という、一種の固定概念があったからかもしれません。


レンジって、どうしても「手抜き」とか「雑」なイメージがつきまといますよね。コンビニ弁当や冷凍食品、添加物……そんな「丁寧じゃないもの」の象徴のように思えて、どこかで「所有したら負け」みたいな変な意地があったんです。


電子レンジ購入の要因は「丁寧」よりも「時間」が切実になったからです。

最近はとにかく時間がありませんでした。

仕事や日々の雑務に追われ、今まで通りに自炊を続けるのが物理的に厳しくなってきたんです。




生活環境が変われば、必要な道具も変わる。

「時短をして、なんとか日々のサイクルを回したい」

そんな切実な理由から、8年間の沈黙を破ってレンジを迎え入れることにしました。




文明の利器は、やっぱり凄かった

8年ぶりに使う電子レンジは、一言でいって「便利すぎる」の一言です。

パックご飯でも冷凍食品でも、数分で温かい食事が用意できる。これはもう、疑いようのない文明の利器であり、立派な生活必需品だと痛感しました。


確かにレンジはデカいし、重いし、見た目も決して「シンプル」とは言い難いかもしれません。

でも、レンジを導入したことで生まれた「時間」という余裕は、何物にも代えがたいものでした。




「丁寧さ」の定義を書き換える

かつての僕は、「手間をかけること」が丁寧な暮らしだと思い込んでいました。

でも、忙しさに心をすり減らしながら無理に自炊を続けることが、本当に豊かなんだろうか?と。


今の自分にとっての丁寧さは、道具を賢く使って、捻出した時間で一息つくことなのかもしれません。


今後、また生活が変われば手放すこともあるかもしれませんが、今の僕にはこれが必要です。

この便利な相棒と一緒に、忙しい日々を少しだけ身軽に乗り切っていこうと思っています。


2026年3月20日金曜日

Googleマップが知らない「聖域」——アルゴリズムに支配されない、子供たちのストリート・ルール

 地図に載っていない「20人の社交場」

子供が「駄菓子を買いに行く」と言い出しました。

詳しく聞くと、近所にGoogleマップにも載っていない駄菓子屋があるというのです。


半信半疑でグーグルマップを開いてみると、確かにそこには建物がありました。近年建てられた新しい建物のようですが、ネット上には名前すら存在しません。


さらに聞けば、そこには日々20人近い子供たちが集まり、お小遣いを握りしめて「交流」しているという。

ネットのアルゴリズムが1ミリも関与していない、子供たちだけの「聖域」がそこには息づいていました。



語り継がれる「ストリートの掟(ルール)」

我が子にお小遣いを渡し、一人で買いに行かせると、大量の駄菓子を抱えて帰ってきました。

その姿に、自分の子供時代を重ねて懐かしさに浸っていると、子供が「当たりが出た!」と叫びました。昔ながらのラーメン型のお菓子です。


「今すぐ交換しに行かなきゃ!」

血相を変えて飛び出そうとする子供に、「今行くのか?」と尋ねると、驚くべき答えが返ってきました。

「今日中に交換しないといけないっていうルールがあるんだよ」


結局、再訪した子供が店主に確認すると、当日でなくても大丈夫だったようです。

おそらく、他の子供たちから聞いた話を真に受けたのでしょう。


これこそが、かつての私たちが身を置いていた「ストリートの掟」です。

公式な規約ではなく、子供たちの間で語り継がれる「口伝(くでん)」。

不確かな噂に一喜一憂し、時には間違えながら学んでいく、小さな小さな社交場のルール。




失いたくない「予測不能な学び舎」

今のネットなら、当たりの交換期限なんて1秒で「正解」に辿り着けます。

そこには勘違いも、無駄なダッシュもありません。

しかし、効率化されすぎた世界では、「本当はこういうのもありなんだ」「こっちの方が面白いかも」という、自分の殻を破るような気づきが失われてしまいます。


マップに載っていない駄菓子屋は、現代において稀有な「予測不能な場所」です。

そこは、子供たちが自らの足で歩き、耳で聞き、生のコミュニケーションを通じて社会を学んでいく、地域の貴重なコミュニティでした。


デジタルな画面の中からは決して見つからない、路地裏の「名もなき建物」にある体温。

こんなワクワクする場所が、どうか長く続いてほしい。

駄菓子を頬張る子供の姿を見ながら、私はネットが忘れさせてしまった「大切なノイズ」を、少しだけ取り戻せたような気がしました。

便利すぎる世界は、人を思考停止に追い込むことがあります。

たまにはスマホを置いて、地図に載っていない場所を探してみる。そんな「非効率な冒険」こそが、今の私たちには必要なのかもしれません。


2026年3月16日月曜日

検索エンジンが「正解」を出しすぎる。私たちが失ったのは、予測不能な「ノイズ」だった。

 最近のインターネットを徘徊していて、ふと思うことがあります。

**「あぁ、またこれか」**という感覚。


検索窓に文字を打ち込めば、私の好みを完璧に理解したAIが、まるで鏡を見るように「私が欲しがっていたもの」を差し出してくる。

自分の意図に反するもの、予想だにしないもの、そして「自分の殻を破ってくれる異物」に、驚くほど出会えなくなっていると感じます。


今のネットは、私たちが不快に思うものを徹底的に排除し、心地よい情報だけで周囲を囲い込んでくれます。いわゆる「パーソナライズ」です。


でも、これが逆に不快に感じるようになってきました。


商品を探していても、バチッとイメージ通りのものが出てきてしまう。

そこには「あ、こんな選択肢もあったのか!」という発見も、使い勝手の良さに驚くような「気づき」もありません。


最短距離で正解にたどり着くことは効率的ですが、それは同時に**「寄り道の楽しさ」を奪われている**ということではないでしょうか。


昔のネットは、もっと「不親切」で「自由」だった

かつてのインターネットは、もっと混沌としていた気がします。

目当ての情報にたどり着くまでに、誰かの熱すぎる個人サイトを通り過ぎたり、全く興味のない分野の掲示板に迷い込んだり。


その「無駄」や「ノイズ」の中にこそ、今の自分を形作る意外な出会いが転がっていました。

今のAIによる最適化は、私たちの知的好奇心を「予測可能な範囲」に閉じ込めてしまっているように思えてなりません。


効率を捨てて、「ノイズ」を拾いに行く

「あ、こういうのもアリなんだ」

そう思える瞬間は、自分の予想を裏切られた時にしか訪れません。

あえて「ノイズ」にまみれる時間を大切にしたい。

そんな風に思う今日この頃です。

2026年3月5日木曜日

やっぱりバイクが好きなんだと思った


どうも、物欲に負け続ける男です。


 YOUTUBEもやっているのでよかったらチャンネル登録して下さい。 ↓ 




18歳からバイクの整備士として就職し、30代になるまでバイク業界にいたがバイク自体が嫌いになってしまい業界から離れました。

バイク整備士というのは意外とレアみたいで、バイクが整備出来るのを他者に知られると整備をお願いされる事が多いのが驚いた。

大体の人が、良いバイク屋とお付き合いが無いか、僕だったら安くやってくれるだろうというスケベ心を持っており、そういうのが透けて見えるのもバイク嫌いに拍車をかけた。(もちろんそんな人の依頼は受けない)

最近のバイク自体、僕は知らないし興味も薄いんだけど知り合いの社長さんがバイクを購入したのを切っ掛けに、簡単な部品取り付けを依頼されるようになってからバイクに対する欲が沸々と湧き上がってきて去年小さなバイクを購入した。


YouTubeをご覧になられている方はご存じかもしれないが購入したのはKSR110だ。

なんでかKSRは高校生の頃から好きで、2ストのKSR-2は今でも欲しい。

KSR110は思ったより遅くて結局カスタムしまくってしまった。
まだ購入してから1年たってないのに…

で、昔走りまくっていた定峰峠にたまに行くが、これがすごく楽しい。
春日部から定峰峠まで行って帰ってくるだけなんだけど、この距離感、この車体サイズが僕にマッチしていて良い感じだ。

それにしても狂ったように真昼間でも周回してた峠小僧達はどこに行ってしまったのか?
寂しいけど、もうそんな子たちはいなくなったのかねぇ…

自分を含むオジサン連中は沢山いるんだけども。

40代になった今はバイクとの距離感も変わって、全てにおいてほどほどになった。
これが良いのか悪いのかはわからないが、今はバイクが好きだ。

酷い時は街中でバイクを見るのが嫌な程で、バイクが嫌いになるにつれ読まなくなったバイク雑誌も今ではあさる様に読んでいる。
自分が整備士をしていた時に比べ技術も進歩しており、社外パーツのラインナップも新鮮だ。

今の熱量だと、今後リッターバイクを買うかもしれないが、またバイクを好きになって良かったと心から思う。

2025年3月9日日曜日

BeRealの怖さ、中毒になる仕組み

BeReal(ビーリアル)というSNSをご存じだろうか?

2020年にフランスでリリースされ、Z世代を中心に人気があり日本で急速に広まっているらしい。


特徴としては「映えない系SNS」と言われている様に投稿は一切の加工が出来ない。

1日1回ランダムに来る通知に合わせて2分以内に撮影しなくてはいけないのでメイクや撮影環境を整えにくい。

撮影時はインカメラとアウトカメラで同時に撮影され、周囲を撮るときに撮影時の自分も必ずインカメラで撮影する仕組みだ。

スマホに保存してある写真も使えず、編集や加工などもできない。


つまり、映える投稿は難しい。

インスタの真逆とも言っても過言ではないSNSだ。

BeRealが受けている背景には、過剰な加工や背伸びをしたSNS投稿疲れも要因だろう。


さらに、制限時間内に撮影、投稿しないと遅れた時刻が表示されて、投稿するまで友達の投稿はぼかしが入った状態となり見られない。

投稿が見たい人は、必然的に投稿しなければいけない。


このシステムは完全にBeRealに中毒にさせて感覚を麻痺させる仕様だ。
精神的にも依存してしまい習慣になってしまうと中断するのは中々難しい。


案の定、授業中やバイト中に写真撮影をして問題になる場合が多いようだ。


個人的にはこのままいくとInstagramを抜くのではないかと思っている。
現在のインスタはBeRealほど依存する仕組みではないため断つのは容易いが、BeRealは難しいだろう。


いずれにしてもBeRealに人間が操られている感が否めない。
こういった高揚感を操るSNSは規制するべきと思う。

2025年3月7日金曜日

スクーターのチェック

 今日は風の強い日で、外に出ないと決めて自宅で出来る仕事をしていたが、ふと思い立ちスクーターのチェックをしに外に出た。

半年ぶりにエンジンを掛けようとしたらバッテリー上がりで、流石にスクーターの小さいバッテリーでは半年間の放置は駄目だったか。

インジェクションなのでバッテリーを繋げばかかるのだろうがそこまでの気力がない。

昔だったら嬉々として何時間も二輪は触れていたが、今では興味なしになってしまっている。

正直言ってしまうと、どうでもよくなってしまったのだ。


流石にもったいないので、何とか活用できないかと思っているが使い道が思い浮かばない。

現場に行くのは、積載能力のある軽トラでなければいけないし二輪の出番がないのだ。

かといってツーリングに使用するのも苦痛が勝り楽しくないと思う。


いっそ弄りまくってカスタムするかだが、盆栽になって乗らない事は想像がつく。

なんにせよ必要としてない二輪を置いておけるという事は案外幸せなことかもしれない。

YouTubeの自動吹き替えについて

ベロンさん行方不明事件の動画が5万回再生を超えた。

視聴年齢層は44歳以下では13%で、45歳以上が残りの87%になっている。
おそらく若年層には全然届いていない。

再生国は99.9%が日本なので海外では全く再生されていない状態だ。


最近YouTubeでは気になる機能が一部適用された、自動吹き替え機能で海外の視聴者へアプローチする事が出来る。

ここら辺の機能をうまく使っていけば過去の動画が再注目されたりするかもしれない。
日本語より英語の方が世界中で使用されているからだが、この恩恵は日本のYouTuberの多数が受けることが可能だろう。

今まではこういう事を意識せず取り組んできたが、今後は積極的にやっていこうと思う。

2025年3月4日火曜日

Twitter(X)をやる気がない件について…

 古くから僕のことを知っている方はTwitter(X)が全く動いてない事に疑問に思う方がいるかもしれない。

端的に言うとXをやる気がなくなったのだ。


スマホからはXアプリを消してしまったし、現在ではPC上で情報収集ぐらいにしか使用していない。

Xをやっている時間も勿体なく思えてしまった。


スマホ自体がそうであるようにフェイスブックやYouTubeもそうなのだが、SNSは時間を使うようにデザインされているので際限なく使用してしまう。

途中からコレはマズいと判断してアプリは削除し、その絡みでインスタも削除した(こっちは物欲名義ではない)

インスタはアカウントごと削除した。


インスタを辞めた理由も同じで、際限なく時間を注ぎ込んでしまい狙っていた情報にリーチできない事が多く、メリットよりデメリットの方が圧倒的に多くなったからだ。


興味のある分野は検索して情報を収集してしまう癖があるので、Xやインスタではキリが無くなってしまう。

Xは文章メインで情報ツールとしての利点があるからアカウントは削除しないと思うが…


SkypeもなくなりSNSや情報ツールはどんどん様変わりしていく、そんな変化にも疲れる気持ちが勝ってきた。

SNSを扱う数を少なくして負担を少なくしようと思う、もっとシンプルにいかねばあっという間に老人になる気がする。

何もしない日

今日は何もしなかった。

ブログを書いただけというのが正解で、ひたすら家でネットしており、行方不明関連の動画をひたすら見ていた。

海外の動画で、誘拐だと思われていた事件が遭難だったという件があった。

人が、意図しない・理解できないモノを超常現象に結びつけるのは太古の昔からだ、不可解な行方不明というのも色々と結びつけたくなってしまうのだろう…

自分の動画と言えば、ベロンさん行方不明事件の動画が4万回再生を超えて驚いた。

1万くらいは行くかなと思っていたが想像を超える再生数だ。

嬉しくないと言えば嘘になるが、被害者あっての動画であり収益は全てメインチャンネルでの経費や捜索費用に充てている。


僕本人としては再生数はどうでもいいのだが、事件の拡散周知という意味では再生数がなくては始まらない、その点でも今回の動画は本当に良かったと思う。

事件解決が一番良いというのは大前提の上でね。


今月中には日光に行きたいがどうなるか…

次回は鳴虫山の北側を中心に捜索して、GPSのテストもしてみようと思う。

あとはドローンの購入だ。

実際に空から俯瞰でホテル周辺を撮影したい、事件発生から年数が経ちすぎてしまったので一日でも早く動かなくては…

2025年3月3日月曜日

悪名高きBATU JOMBA(バトゥ ジョンバ)の坂のドラマ

 BATU JOMBA(バトゥ ジョンバ)はインドネシアのスマトラ島北部の地名らしくYouTubeで検索すると事故動画が山ほど出てくる。


とんでもないカオスっぷりなんだけど、過去にアスファルトでの舗装は何度もしているが水害が多い地らしく道路が破壊されているらしい…


地元住民らの命がけの場面が多くあったりと危険な道路だ。


だが、最近バトゥ ジョンバで大規模工事が行われている。


以前とは比べようにならないほどの力の入れようで今回で問題は解決すると思われる。
バトゥジョンバは世界的に有名になってしまったので政府としても国の恥をそのままネットで流されるよりかは完全解決をと思っているのだろう。

全ての通行者が安全に通れるように日本の地から見守っております。

2025年3月2日日曜日

「車好きの聖地」大黒PAはどうなってしまうのか?

 車好きの聖地と言われているが、個人的にはこの表現は疑問が残る。

元々集まる車両も今ほどではなかったと思うが、2000年初頭の大黒PAは音響族が大量に集まっていたと記憶している。

当時は大黒PAには駐車場を埋め尽くすほどの音響族が集結し、ニュースでも問題になっていた。

爆音を奏でる車の傍で踊り狂う若者がいるというのもお決まりのセットで、そんなニュース映像をド田舎のテレビで観ていたのが当時高校生の僕だ。

当時の僕はどっぷりバイクにハマっていて車には詳しくなかったが、こういう場所があるのかと驚いたものだった。


そして、いずれ大黒PAも滅茶苦茶になるだろうなと思った。


バイクで熱心に走っていた地元のスポットが頭文字Dで出てきて、県外ナンバーが多数走りに来ていてたので地元の僕らは冷めた目で見ていたものだった。

なんせ地元のルールやマナーを知らないので好き勝手走るようになり、警察も本腰を入れて巡回してくるようになった、その結果走りに来る人も少なくなった。

結果、残ったのは昔から走っていた人だけだ…ほんの数年でこの状態になった。


大黒PAはと言えば、しばらく経つと、大黒PAに来る人の車両ジャンルが細分化されたように思う。

日本の改造文化はJDMと呼ばれ海外ではブームになっており、現在の大黒PAでは外国人の来訪が多いという。

日本のアングラな車&バイク文化というのは昔からあるもので歴史があり、地方にもあるし都会にもある、場所によっての暗黙の了解というものもある。

僕の今好きなデコトラも、始まりは改造自体が駄目だった時代のアングラカルチャーだ。

そもそも集まりというのはこっそりやるもんで、誰彼も来る大黒PAの状況は良くないだろう。


大前提として大黒PAは公共の休憩場所だし、一般の方々の大迷惑になっている。


大黒PAは20年以上昔からこの状態だが、海外でも有名になっており外国人が多数訪れる状況もかなりマズいと思う。

警察もこのまま放っておくはずもなく、いずれ対策を講じられるはずだが、スポットの終わりっていうのは絶対に来るのでまた別な場所で集まる事だろう。

2025年2月27日木曜日

得る事で満たされるように感じられる欲望は苦の始まり

 仏教では苦を取り除くことを目標としている。


仏教における「苦」とは、苦しみや悩み、精神や肉体を悩ませる状態を指す。対義語は楽。 仏教は無常、苦、無我の3つで三相を形成する。四諦の4つすべては苦に関する真理である。仏教は、この苦の滅尽をめざす学問体系である。

出典…https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A6_(%E4%BB%8F%E6%95%99)


人間は収集癖があると思う…

人間の欲を仏教用語では五欲(ごよく)と呼び、「食欲、睡眠欲、財欲、色欲、 名誉欲」の五つに分けている。

宗派によってはさらに分ける場合もある。

人生の大半の時間を、この欲を埋めるために使うのが凡夫だと思う。

欲望には限りがなく、満たされなければ渇き、満たしても渇く。

際限のない欲の循環は苦の始まりだ。

人間…というか生物は、欲に振り回され苦しむ事が当たり前ともいえる。


仏教における悟りは全ての欲を滅し解脱(涅槃)に至る事を言う。

言葉で理解できても、それが心底腑に落ちないと意味がない。と僕は思う。


で…長くなって申し訳ないのだが以上が前置きです。

個人的に思うのは、現代社会では容易に欲望を叶える事が出来るので僕を含め欲に振り回される人間が多いなという印象を受ける。

企業の広告もそうだし、街に出れば消費させようという努力が見える。

ネットを開けば広告が溢れているし、個人に合わせた購買欲を刺激してくる。

知識もそうだ。

ネット上ではわからない事が無いのでは?というほど知識が満たされる。


デジタルデトックスやミニマリスト、シンプルライフが流行っているが当たり前だ。

現代社会は多くのモノに囲まれ過ぎている。

欲を叶えなくても実はもう満たされていて気づいていないだけ、というのを心底理解しなければいけない。

常日頃どうにかしたいなと思うが、どうにもなっていない僕も凡夫の一人だ。

2025年2月26日水曜日

小型マーカーランプを追加購入とデコトライベント


 

23日に道の駅ごかで哥麿会さんが中心となりデコトラ集合があり参加させて頂きました。

物凄い見物人の数で夜になると会場内を歩くのも大変でした。

イベントに参加して毎回思うのは、自分の軽デコトラは光物や飾りが圧倒的に足りていないという事だ。

イベントにくるのは有名車両や凄い車両ばかりなので見劣りするのは当然であるが…


で、イベントに参加するとパーツを追加したくなってしまい、狙っていたマーカーランプを購入しようとしたがどこにも無くなっている。

つい一年前はあった筈なのに廃番。

デコトラ関係のパーツは一期一会が多く、欲しいパーツは買っておかないと廃番や売り切れてしまう。


僕の軽デコトラはクリアレンズを多用しようと思っているので当時物のパーツにしてもまず出てこず、色付きレンズにすればまだ楽なのだが自分の中でのルールなので妥協できない。

詳細はサブチャンネルで発信予定だが、完成は三月中になると思う。


イベントに参加すると自分の車両の見劣りとデコトラが持つ力というものを毎回意識する。

道の駅ごかでのイベントは一般客が多数来場するという点で、既存のデコトライベントとは趣が異なる部分があると思う。

現代のデコトライベントでは広い会場で騒音問題もクリアしなければいけない。

前回開催した会場が貸してくれなくなるというのはあるあるで、ラッパ等での騒音や、周辺道路の渋滞が問題になっているようだ。

ここら辺も詳しく書くと長くなるので割愛するが、広くて周辺に住居が無いとなると人里離れた場所や交通の便が悪い場所が会場になる。

ところが道の駅ごかは4号バイパス沿いにあり、交通量は非常に多く、高速出入り口もすぐ近くだ。

なおかつ周辺には住居が無いし、道の駅なので多くの一般の方が休憩や買い物に訪れる。

デコトラに興味がない、又は存在自体知らない方が多数訪れて、デコトラの世界に触れて頂ける理想的な場所だと僕は思っている。


勿論、こういった会場の場所を貸して頂けることは容易な事ではないのは素人の僕でもわかる、ひとえに長年ボランティア活動やデコトラの地位向上に尽力されている哥麿会さんの活動があってこそ、この場所でイベントを開けるのだろう。


最後に、御挨拶出来なかった方々申し訳ございませんでした。

哥麿会の皆様、参加者の方々、ギャラリーの方々、楽しい時間をありがとう御座いました。

2025年2月22日土曜日

公調が公開したオウム真理教問題アーカイブ。特設HP

 https://www.moj.go.jp/psia/aumarchive/


↑は公安調査庁が公開したオウム真理教の特設HPだ。

若い方はオウム真理教が起こした事件を知らない方も多いと聞く。

今も教団名を隠して勧誘をしており、知らずに入会していたという事があるそうだ。

知らない方は是非見て頂いて、オウム真理教が起こした数々の事件を知るきっかけになってくれたらと思う。


オウム真理教は1996年1月に宗教法人としての法人格を失ったが活動を継続していた、しかし2000年2月に破産し「オウム真理教」の名称は消滅した、オウム真理教の後継団体となる「アレフ」が設立された。

「Aleph(アレフ)」をはじめとする主流派と、「ひかりの輪」を名のる上祐派が活動している。

上祐史浩氏はYouTubeチャンネルも持っていて積極的に活動している。

原始仏教、上座部、大乗、ヨガ、瞑想、禅などの事柄を詳細に語り、知識の多さを伺えさせる。

非常に頭の良い方なのだろうと思うが、そんな人が何故…?


一方、アレフは本部が北越谷にあるので、春日部市民の僕は不安に感じている。

いずれにせよ、ひかりの輪、アレフ共に現在進行形で公安の監視対象だ。

間違って入会してしまう方がいない様に切に願う。

所有しない事によって生まれてくる幸福

 


かなり興味深い内容でフル動画は観ていないが興味をそそられた。

僕は、持ち物を削ぎ落としていったり生活自体をシンプルにしていくと、現代社会とは違う幸福が生まれてくると思っていて、その生活の最たるものが↑の動画だと思う。

もちろん、今の資本主義社会での価値観ではその生活は不幸とも分類されるような価値観だと思う。

でもミニマリストやシンプリストの方々には理解して頂けると思う。
実践するのは凄く難しいのだけど…

持ち物が少ない、消費しない、しがらみがない、身軽であればあるほど幸福になる。

資本主義社会は、消費せよ、労働せよ、集めよ、他人と比べよとコマーシャルしてくる。
街を歩けばそのような広告だらけだ。

これが正常な人間の生活なのだろうか?

僕も散々このブログでそのような記事を書いてきた。
買い換えろ、あれが良い、コレが良いと…

今後も消費記事を書いたりアフィリリンクは張るが、最近は消費する事に非常に疑問を感じているし、消費のループから抜けたいとも思っている。

2025年2月20日木曜日

僕はなぜ長財布に夢中だったのか?

長財布を持たなくなって何年も経つ。

現在の財布はRIDGE MOUNTAIN GEARで、長財布を持たなくなってから財布はこれのみだ。



そもそも現金を使用する機会が少ないので、実際に使用してみると容量的にもこれで十分で満足している。

長財布や二つ折り財布でない理由は何故なのか?

単純にかさばるし重たいからで、今やカード数枚や少量の現金が入れば十分に生活出来るので必要なくなったのだ。

しかし長財布の方がお札と小銭がサッと出せてレシートもすぐにしまえて使いやすい、これは間違いない事実でお札も綺麗にしまえるといった利点もある。

僕の周囲は長財布派が多い。

世代的なものもあるのかもしれない…
僕の世代ではハイブラの長財布がカッコいい、お金が貯まるといった信仰もあったし僕も疑いなくその波に乗っかっていた。

今思えば呪縛そのもので、僕レベルでは大仰な財布は必要なかったのだ。
ジップロックでもいいんじゃないかと最近は思っている。

流石に付き合い等で人前に財布を出すことがあるのでジップロックではパンチが効きすぎているが期間限定でやってみても面白いかもしれない。

開発著しい浦和区について

20歳頃に、大宮の上小町と堀の内に数年住んでいたことがある。

今となっては大宮駅周辺には年に数回行くか行かないかの頻度になっているが、行く度にどこかしら変わっていて、自分の記憶との乖離に哀愁を覚える。

最近行く頻度が高いのは浦和区周辺で、色々な所で道の拡張がされていて昔より格段に走行しやすくなっており便利な一方、車で裏通りに入ると一通や時間帯によっては通行禁止もあったりして結構苦労する。


今回は駐車場で苦労した…


コインパーキングはそこそこあるのだが朝の早い段階ですぐに埋まってしまいコインパハシゴという苦行を強いられることになり、探し出した駐車場も料金も高い。


さいたま市、特に浦和区などは年々土地代も爆上がりしておりどこまで上がるの?といった感じだ。

浦和美園の土地価格も上がってきているらしいが、あそこらへんはのどかな場所なので住みやすいのかもしれない。

浦和美園あたりはまだまだ発展途中だし、時間はかかるだろうが将来的には大きく発展しそうだなと思っている。

2025年2月18日火曜日

善因善果・悪因悪果

 若い頃はわからず、歳をとってわかる事がある。

その中でも、いわゆる因果応報はあると経験で判断している。


意外に思われるかもしれないが、僕は原始仏教寄りの思想なのだが仏教を学んでいる。

特に特定の宗派には属していないのであしからず。


仏教の根幹に「空(くう)」がある。

仏教の「空」とは、すべての存在が固有の自己性を持たず、相互に依存しているという考えを指しており、すべての物に実体や固定的な存在はないとも教えている。

全ての存在が相互に依存しているのならば因果というものは確実にあるし、行いは必ず返ってくると考えられる。

善悪に限らず、すぐに返ってくる場合もあれば、自分の世代で返ってこない場合もある。

ニュースを見ていても、日常を見ていても善因善果・悪因悪果は溢れている。

ただそれを意識して因果を利用する事はしないようにしている。

なぜならば、仏教では善因善果・悪因悪果を期待し利用しようとする心の働きを戒めてもいる。

期待し利用しようとすれば苦が生まれる、それが外的か内的要因によってその人に発生するのかは、僕には知る由もないが…


善悪の判断も最終的にはその人の主観で決める事だ。

中年と言われる歳になったが因果応報はやはりあるなと思った日でした。

2025年2月16日日曜日

フロントバンパーの飾りプレート紐だしと廃番マーカー類

 昨日は早々に寝てしまい珍しく早朝に目覚めました。

フロントバンパーの飾りプレートの事ばかり考えていて、今デザインを考えるべきではないのかもしれないとの結論に至りました。

フロントバンパーの飾り付けが完全に決まっていないのに飾り始めるべきではないかなと…

完成はまだまだ先になりそうだ。


装着したいマーカー類の電飾パーツも廃番品が多くてちゃんと収集できるのか?という疑問も残る。

バンパー自体、軽トラサイズであまり前出しもしていないので、サイドに取り付ける用に通常の角マーカーより小さい板橋用品のS88かS98の小マーカーが欲しいのだが、廃番になっており入手困難だ。

僕の軽トラはクリアレンズにこだわっていて、レンズはすべてクリアにしたい。

マーカー類のクリアレンズはヤフオクやフリマサイトでも出品されず手に入れるのは難しい。

現在装着しているテールランプもクリアレンズにしたいのだが見事に廃番。

色々と探しているがJET丸テール小のブレーキのクリアレンズが出てこない…

そもそもJETの丸テール小がいつまで生産されるのか?予備でワンセット購入してもいいかもしれないと思っている。

2025年2月14日金曜日

深夜徘徊で美咲嬢さんとスライド

 2月7日に16号を深夜徘徊していた時に美咲嬢さんとスライドしました。

大宮方面の市場にもいらっしゃる事は知っていたが路上でスライドするのは初めてだったので子供みたいに興奮した。

ちょっと点灯する位で走行されていたが、雰囲気バリバリであえて点灯していない街道姿をみて流石名車と唸るしかなかった。

ラッパを鳴らすと返してくれて非常に嬉しかったのだが、ドライバーさんとは一回も話した事は無い。

あまりにも有名車、有名人の方なのでイベントで拝見しても話しかけるのに躊躇してしまい、いまだにお話出来ずにいる。

簡単に言うと僕が勝手に怖気づいてしまっているのだ。

有名車のドライバーには話しかけづらい…

デコトラあるあるかもしれない。


深夜徘徊は16号から4号バイパスへと行き、道の駅ごかでコーヒー飲んで帰るというのがお決まりのルーティンで、多種多様なトラックが走っているのでそれを見ながら走るのがここ一年くらいの癒しになっていたりする。

4号バイパスだとデコトラもそこそこな頻度で遭遇するが、満艦飾のフルアート車には本当に遭遇しない。

YouTubeで有名車両のオーナーさんが、「今のイベントの方が参加車両が多いがトラックに乗らない一般の見学者が少ない、昔は今より台数は少ないけど一般の見学者が多かった」と仰っており、なるほどなと思った。

個性を出すと煙たがられる世の中になり時代の変化もあるかもしれない。

時代はミニマルでシンプル、没個性が流行りだ。

しかし、ファッションがそうであるように時代が巡りデコトラも強烈な流行りが来るかもしれないと考えている。