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今回は野村香ちゃん行方不明事件です。
この事件は目撃情報が極端に少ないという事件で、30年経ちますが有力な情報が御座いません。
香ちゃんが発見され無事である事を心より祈っています。
【事件概要】
1991年10月1日午後3時50分ごろ、自宅から約540メートル離れた書道教室に向かう途中、行方が分からなくなった。
1991年10月1日は強い雨が降っていた。
行方が分からなくなったのは、横浜市旭区本宿町/野村節二さんの二女、香ちゃん(当時8歳=小学3年生)。
野村香ちゃんの姿は小学4年生の姉(10歳)が自宅の部屋で机に向かって座る姿を確認したのが最後だった。
野村香ちゃんは午後2時30分頃に小学校から帰宅したと見られている。
母親はこのときパートの仕事に出かけており留守。
しばらくして帰宅した姉が和室のちゃぶ台に座って漢字ドリルをしている野村香ちゃんを確認している。
その後は姉妹は2人でおやつを食べた。
午後3時30分頃、姉はエレクトーン教室に通うために野村香ちゃんを自宅に残したまま家を出た。
母親がパート勤め先から午後5時頃に帰宅。
このときには玄関にしっかり鍵がかかっていた。
野村香ちゃんがいないことに気付いた。
野村香ちゃんはこの日、自宅から540メートル離れた書道教室に通うことになっており、書道用具、傘、長靴がなかったため、いつもの様に書道教室へ出かけたものと思い気にしなかったと言う。
いつもは午後5時頃には帰ってくるのだが、11月に書道の展覧会がありその作品制作に打ち込んでいるのだと思い、さほどの心配をしなかった。
母親はいったん近くのスーパーに買い物にでた。
午後6時30分頃に戻ったときも野村香ちゃんがいなかった。
この時になっても香ちゃんが帰宅した様子はなかった。
さすがに気になり書道教室に電話を入れると「お稽古の人は、もうみんな帰りました」という返事だった。
母親はすぐに、一緒に書道教室に通っている香ちゃんの友達二人に電話をしたが「香ちゃんは今日はお休みでした」と言われた。
続いて、仲の良い友達ニ、三人に電話をし「今日、香と遊んだ?」と尋ねたが香ちゃんと遊んだ子供は誰もいない。
母親は不安になり、いつも香ちゃんが通る書道教室までの道程を歩いてみたが見当たらず、今度は道順を変えて二度歩いた。
その後も、周辺を探したが見あたらず、小学校の連絡網で「香ちゃんがいない」と流す一方で近所のお母さん達、担任の先生、校長先生らが周辺を捜索した。
そして午後8時30分に警察に届けた。
その後も地域ぐるみで探す活動が現在まで行われているが、足取りすらつかめていない。
書道教室に行く途中の道で交通事故にあった可能性も考えられた。
現場は畑が団地や住宅に急速に変化してきたところで、近くに国道16号線の保土ケ谷バイパスが通る。
【エレクトーン教室と書道教室】
・姉妹はエレクトーン教室も習っていた。
姉は火曜日に、香ちゃんは月曜日に行く事になっていた。
・香ちゃんは書道教室に事件2年前から通い始めた。
月に三回、火曜日(隔週?)に行く事になっており、書道教室が楽しみで誰に言われなくてもお休みをせずに通っていたと言う。
・書道教室は香ちゃんの家から540m程でゆっくり歩いても10分かからない。
・書道教室は午後4時~5時まで。
いつも姉妹一緒に家を出て、香ちゃんを書道教室まで送り届けていたという。
しかし事件当日は、姉は学校で使うノートを買うため、途中で文具店に寄る予定があり、香ちゃんよりも一足早く家を出た。
【目撃情報】
香ちゃんより一足早く家を出た姉の歩く姿は雨の中でも目撃されている。
しかし香ちゃんの姿は家の近くで雨水を蹴っていた姿が目撃されたのみ。
これは、自宅近くの女性が「近くの民家にある石垣の水抜き口から勢いよく吐き出る雨水を傘を差した女の子が、長靴で蹴って遊んでいた」というものである。
女性立会いのもとに現場が調査されたが、そこから有力な情報に結びつくことはなかった。
【色々な可能性】
自宅から100mの場所には国道16号線が走っており、香ちゃんは大通りまでの間に何らかの事件・事故に巻き込まれてしまい連れ去られた可能性が高いと考えられています。
事件当日は朝から雨が降っており(前日の夜から雨は降っていた)人通りが少なかったため、目撃証言が少なかった。
(雨音で多少の音は消えてしまい、近所の人も異変に気付かなかった可能性がある。)
捜査の為に出動した警察犬も雨のために匂いが追えなかった。
母親は「香ちゃんは一人では二俣川駅まで行けず迷子になる筈」との事。
事件発生当時、自宅近くを流れる二俣川は氾濫する様な水量ではなかったとの情報がある。
【所在不明事件】
警察は「所在不明事件」として特別捜査本部を旭署に設置し、延べ9万756人の捜査員(2011年8月末まで)を動員。
同月末まで3121件の情報が寄せられているが、年々減少している。
現在も、10名体制で専属の特別捜査本部を置き、時折入る情報や地方での事件や事故などに関連性がないかなど、徹底した捜査活動を行なっている。
今日までに寄せられた情報は、「似ている」など香ちゃんに関するものが900件、「不審者がいる」といったものが1200件。
それら一つひとつをつぶしてきた。河川や山、神社など6000か所以上の検索捜査、述べ8万4000人に及ぶ聞き込み捜査も行なってきた。
有力な目撃証言がほとんどないため、車で連れ去られた可能性が高いが、依然として事件解明の糸口はつかめていない。
なお、2006年に公訴時効を迎えている。
【現在に至るまで】
節二さんは行方不明後の1カ月間、会社を休み、電話を待った。郁子さんは家にこもった。
「もしかしたら、事情を知る人が客を装って様子を見に来るかもしれない」。
玄関にボイスレコーダーとノートを用意し、宅配業者など自宅を訪れた人とのやりとりをつぶさに記録する生活を数年続けた。
宗教団体も訪ねてきた。
「本尊で拝めば娘さんは帰ってくる」「居場所が分かった」。自称霊能者に言われた場所をすがる気持ちで見に行ったこともあったという。
【捜索番組でアナウンサーによる放送事故】
1994年のテレビの特別番組で、有力な情報を視聴者から聞くものがあり、野村香ちゃんの情報を知っている人物と電話が繋がり、匿名が条件だったのにも関わらず、女子アナが電話の人との約束を破ってしまい本名を言ってしまったために相手が激昂して電話を切っている。
放送日:1994年1月30日
番組:プレゼンター テレビ公開捜査 子供たちは今どこに?
行方不明事件関連のテレビ番組で電話を掛けてきてくれた人の本名を言ってしまったのはxxxx
ただ2022/2/14現在は映像で確認できないので情報の精度としては?
【失踪当時の野村香ちゃんの特徴】
・年齢八歳(1991年当時)
・身長130㎝、痩せ型
・服装 白色ヨットパーカー(両脇にポケット)
紺色ジーンズのスカート(両脇にポケット)
ピンクの長靴
・所持品 バッグ(キティちゃんの絵付き)
傘(薄茶色 青と白のチェック柄)
・特徴 鼻のわきに水疱症のあとがあった
ショートヘアカット
目がクリっとしている
1991年10月1日午後3時50分ごろ、自宅から約540メートル離れた書道教室に向かう途中、行方が分からなくなった。
1991年10月1日は強い雨が降っていた。
行方が分からなくなったのは、横浜市旭区本宿町/野村節二さんの二女、香ちゃん(当時8歳=小学3年生)。
野村香ちゃんの姿は小学4年生の姉(10歳)が自宅の部屋で机に向かって座る姿を確認したのが最後だった。
野村香ちゃんは午後2時30分頃に小学校から帰宅したと見られている。
母親はこのときパートの仕事に出かけており留守。
しばらくして帰宅した姉が和室のちゃぶ台に座って漢字ドリルをしている野村香ちゃんを確認している。
その後は姉妹は2人でおやつを食べた。
午後3時30分頃、姉はエレクトーン教室に通うために野村香ちゃんを自宅に残したまま家を出た。
母親がパート勤め先から午後5時頃に帰宅。
このときには玄関にしっかり鍵がかかっていた。
野村香ちゃんがいないことに気付いた。
野村香ちゃんはこの日、自宅から540メートル離れた書道教室に通うことになっており、書道用具、傘、長靴がなかったため、いつもの様に書道教室へ出かけたものと思い気にしなかったと言う。
いつもは午後5時頃には帰ってくるのだが、11月に書道の展覧会がありその作品制作に打ち込んでいるのだと思い、さほどの心配をしなかった。
母親はいったん近くのスーパーに買い物にでた。
午後6時30分頃に戻ったときも野村香ちゃんがいなかった。
この時になっても香ちゃんが帰宅した様子はなかった。
さすがに気になり書道教室に電話を入れると「お稽古の人は、もうみんな帰りました」という返事だった。
母親はすぐに、一緒に書道教室に通っている香ちゃんの友達二人に電話をしたが「香ちゃんは今日はお休みでした」と言われた。
続いて、仲の良い友達ニ、三人に電話をし「今日、香と遊んだ?」と尋ねたが香ちゃんと遊んだ子供は誰もいない。
母親は不安になり、いつも香ちゃんが通る書道教室までの道程を歩いてみたが見当たらず、今度は道順を変えて二度歩いた。
その後も、周辺を探したが見あたらず、小学校の連絡網で「香ちゃんがいない」と流す一方で近所のお母さん達、担任の先生、校長先生らが周辺を捜索した。
そして午後8時30分に警察に届けた。
その後も地域ぐるみで探す活動が現在まで行われているが、足取りすらつかめていない。
書道教室に行く途中の道で交通事故にあった可能性も考えられた。
現場は畑が団地や住宅に急速に変化してきたところで、近くに国道16号線の保土ケ谷バイパスが通る。
【エレクトーン教室と書道教室】
・姉妹はエレクトーン教室も習っていた。
姉は火曜日に、香ちゃんは月曜日に行く事になっていた。
・香ちゃんは書道教室に事件2年前から通い始めた。
月に三回、火曜日(隔週?)に行く事になっており、書道教室が楽しみで誰に言われなくてもお休みをせずに通っていたと言う。
・書道教室は香ちゃんの家から540m程でゆっくり歩いても10分かからない。
・書道教室は午後4時~5時まで。
いつも姉妹一緒に家を出て、香ちゃんを書道教室まで送り届けていたという。
しかし事件当日は、姉は学校で使うノートを買うため、途中で文具店に寄る予定があり、香ちゃんよりも一足早く家を出た。
【目撃情報】
香ちゃんより一足早く家を出た姉の歩く姿は雨の中でも目撃されている。
しかし香ちゃんの姿は家の近くで雨水を蹴っていた姿が目撃されたのみ。
これは、自宅近くの女性が「近くの民家にある石垣の水抜き口から勢いよく吐き出る雨水を傘を差した女の子が、長靴で蹴って遊んでいた」というものである。
女性立会いのもとに現場が調査されたが、そこから有力な情報に結びつくことはなかった。
【色々な可能性】
自宅から100mの場所には国道16号線が走っており、香ちゃんは大通りまでの間に何らかの事件・事故に巻き込まれてしまい連れ去られた可能性が高いと考えられています。
事件当日は朝から雨が降っており(前日の夜から雨は降っていた)人通りが少なかったため、目撃証言が少なかった。
(雨音で多少の音は消えてしまい、近所の人も異変に気付かなかった可能性がある。)
捜査の為に出動した警察犬も雨のために匂いが追えなかった。
母親は「香ちゃんは一人では二俣川駅まで行けず迷子になる筈」との事。
事件発生当時、自宅近くを流れる二俣川は氾濫する様な水量ではなかったとの情報がある。
【所在不明事件】
警察は「所在不明事件」として特別捜査本部を旭署に設置し、延べ9万756人の捜査員(2011年8月末まで)を動員。
同月末まで3121件の情報が寄せられているが、年々減少している。
現在も、10名体制で専属の特別捜査本部を置き、時折入る情報や地方での事件や事故などに関連性がないかなど、徹底した捜査活動を行なっている。
今日までに寄せられた情報は、「似ている」など香ちゃんに関するものが900件、「不審者がいる」といったものが1200件。
それら一つひとつをつぶしてきた。河川や山、神社など6000か所以上の検索捜査、述べ8万4000人に及ぶ聞き込み捜査も行なってきた。
有力な目撃証言がほとんどないため、車で連れ去られた可能性が高いが、依然として事件解明の糸口はつかめていない。
なお、2006年に公訴時効を迎えている。
【現在に至るまで】
節二さんは行方不明後の1カ月間、会社を休み、電話を待った。郁子さんは家にこもった。
「もしかしたら、事情を知る人が客を装って様子を見に来るかもしれない」。
玄関にボイスレコーダーとノートを用意し、宅配業者など自宅を訪れた人とのやりとりをつぶさに記録する生活を数年続けた。
宗教団体も訪ねてきた。
「本尊で拝めば娘さんは帰ってくる」「居場所が分かった」。自称霊能者に言われた場所をすがる気持ちで見に行ったこともあったという。
【捜索番組でアナウンサーによる放送事故】
1994年のテレビの特別番組で、有力な情報を視聴者から聞くものがあり、野村香ちゃんの情報を知っている人物と電話が繋がり、匿名が条件だったのにも関わらず、女子アナが電話の人との約束を破ってしまい本名を言ってしまったために相手が激昂して電話を切っている。
放送日:1994年1月30日
番組:プレゼンター テレビ公開捜査 子供たちは今どこに?
行方不明事件関連のテレビ番組で電話を掛けてきてくれた人の本名を言ってしまったのはxxxx
ただ2022/2/14現在は映像で確認できないので情報の精度としては?
【失踪当時の野村香ちゃんの特徴】
・年齢八歳(1991年当時)
・身長130㎝、痩せ型
・服装 白色ヨットパーカー(両脇にポケット)
紺色ジーンズのスカート(両脇にポケット)
ピンクの長靴
・所持品 バッグ(キティちゃんの絵付き)
傘(薄茶色 青と白のチェック柄)
・特徴 鼻のわきに水疱症のあとがあった
ショートヘアカット
目がクリっとしている
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