2019年5月18日土曜日

松岡伸矢くん行方不明事件・・・考察



【事件概要】

1989年3月7日
徳島県美馬郡貞光町平石(現・美馬郡つるぎ町貞光平石)の親戚宅に、家族と一緒にやって来ていた松岡伸矢くん(当時4歳)が、親の目の離した20~40秒位の間に姿を消してしまった・・・

そして完全に行方不明になってしまう・・・


↑画像は失踪当時の写真である。



【事件詳細】

松岡伸矢くんの一家は茨城県牛久市に住んでいた。
家族構成は父・正伸さんと妻・圭子さん、子供が長女、伸矢くん、次男(当時2歳)の5人暮らしだった。
正伸さんはソフトウェア技術者として国産の電算機関関連会社に勤めていたが、牛久で家を購入し、1989年はじめには外資系のコンピュータ会社に転職した。
それまでは深夜残業・休日出勤ばかりで子供達と遊ぶ時間がままならなかったからだ。

この年の3月5日、圭子さんの実母が急死し、6日に一家は徳島県小松島市で営まれた葬儀に参列した。
そのあと一家は車で1時間ほど離れた貞光町の圭子さんの親戚宅を訪れ、この日はここに泊まった。

翌7日午前8時頃、正伸さんは3人の兄弟と従兄弟の子供を連れて近所に散歩に出かけた。このあたりは標高200mほどの山間部の林道の終点近くにあり、公道から山の斜面に私道が延びて、その斜面に親戚宅は建てられていた。

周辺に家はない。


正伸さんは朝食前だったので10分ほどで散歩を切り上げている。
子供達ははしゃぎながら、正伸さんについてきていた。
家の玄関までの10メートルほどの石段を登った玄関先まで伸矢くんがついてきていたことを正伸さんは記憶している。
伸矢くんはこの時、もっと散歩したそうだったため、正伸さんは抱いていた次男を家の中にいた圭子さんに手渡し、玄関先に戻ってみると、伸矢くんの姿はなかった。

この間、40秒ほどである。


伸矢くんの姿がみえないことに気づいた正伸さんは、すぐに周辺を捜したが、伸矢くんを見つける事が出来なかった。
それから、家族・親類が近所を捜し回り、地元の消防団もこれに加わったが見つける事が出来ず、午前10時に警察に通報した。
 
当初は山で迷子になっているのではないかと思われ、この日のうちに山間部で大捜索が行われた。
貞光署からは全署員30名の半数が駆けつけ、県警機動隊、消防署員、地元消防団員に一般市民を加えた100人近くの人を動員、翌8日には200人を動員、その後3ヶ月捜索を続けたが、ついに伸矢くんを見つけることはできなかった。

機動隊は互いが手を触れるくらいの間隔で横一列で捜索したが遺留品すら見つからなかった。 


ちなみに伸矢 くんは4歳とは思えない位しっかりしており、自宅の住所も電話番号も年齢も家族の名前もみんな言えた。


・現場は町道の終点付近で外部からの出入りはほとんどない
・失踪時、100m離れた畑で農作業をしていた人は車を見かけなかった。
・松岡さん一家が親戚宅に到着したことや、伸矢くんがいたことは外部に知られていない
・周辺に交通事故の痕跡はない。
貞光署ではそれでも以上の理由から「事件にまきこまれたケースは考えにくい」と徹底した周辺捜索を行った。




【幼稚園の保護者『ナカハラマリコの母親』を名乗る謎の電話】

伸矢くんが失踪し、捜索が行われると同時に、親戚宅の電話にテープレコーダーをとりつけた。
正伸さん一家が牛久市に帰る前日の16日、一本の奇妙な電話がかかってきた。正伸さんが電話を取ると、「奥さんはいますか」という。語尾のあがる徳島弁独特のアクセントの女性の声がした。圭子さんが電話を替わると、その女性は「ナカハラマリコの母親」だと名乗り、「成蹊幼稚園の月組の父兄です。幼稚園で見舞金を集めたのですが、どちらに送れば良いのでしょうか。もう帰ってくるんですか?」と尋ねた。
成蹊幼稚園とは伸矢くんの姉が通っていた幼稚園だった。
圭子さんは明日帰るという旨を伝えたが、その後ナカハラマリコの母親から連絡はなかった。

見舞金について、こちらから尋ねることもできず、しばらく黙っていたが、数日たって幼稚園に問い合わせてみたところ、見舞金を集めたという事実はなく、ナカハラマリコという名前の子供もいないことが判明した。


後から考えると、正伸さんから電話を替わる時に「誰かわからないけど、徳島弁だよ」と言っており、茨城県にいて松岡さんの親戚宅の電話番号を知っているのも不自然である。
また徳島県にいて伸矢くんの幼稚園の名前まで知っているのはおかしかった。
松岡さん一家の事情に内通している者の電話だと言えるが、これが手がかりとなることはなかった。

このときのテープは警察が当初「何もはいっていない」として貸し出しを拒否。貸し出しが認められたときは相手の女性の声だけが削除されていた。

警察が「事件性なし」と判断するなど非協力的な点が問題解決の障壁となっているという・・・




【全国からの目撃証言】

その後、正伸さんは会社勤めを辞めて自営業に切り替えた。
捜索の時間を少しでも持てるようにするためである。
50回を超えるテレビ出演で情報提供を求め、自宅の電話番号も公表した。
目撃証言は多くよせられ、信憑性の高いものもあった。
それらは全国各地での目撃証言であった。


●90年4月 徳島の主婦 
「市内で伸矢くんを見た。まず間違いない」

この連絡は正伸さんの家に直接入り、すぐにその人物と会って、その後、徳島県警本部に証言に出ていた子供の人物特定を依頼した。
しかし、そのあと本部から連絡はなく、正伸さんが電話を入れると、担当の警部は「私の父が亡くなり、ばたばたしていましたので・・・」と言った。
その後、手がかりなし。

●90年 
「山形米沢市にあるデパートの前で、テレビで見た伸矢くんとそっくりの男の子をみた」
この証言を聞き、正伸さんは米沢市に向かい、デパート周辺でビラ配りをしたところ、「この子なら上杉公園で見た」という情報を得ることができた。
この証言の主婦によると、公園内の売店にいたということだが、その先はわからなかった。

●91年  
「四国霊場88ヶ所の第21番目の「太竜寺」で白装束に身を包んだ5~6歳の少年を連れた親子連れを目撃した。
子供に付き添っていた男女は普通の身なりで、子供の両親にしては年が離れすぎていた」 圭子さんがこの証言を聞いて、87、8番目の寺でその3人の姿を待ちつづけたが、とうとう現れなかった。

●?年 北海道の倶知安町に住む老人 
「伸矢くんと名乗る子供を内地(本州)からもらってきたという人を知っている」
 これも決め手にはならなかった。

●97年 OL 
「横浜の地下鉄で見た」
この証言によれば、帰宅途中のOLが、電車の横に坐った少年が「鳥肌のたつほど、正伸さんに似ていた」と言い、少年については「苦労しているようで、身なりも良くなく、手首に巻いてある包帯から傷が見えたので気になった」という。
心配になったOLは少年に声をかけ「おじさんにいじめられる」という話を聞いている。
OLは「困ったことがあったら、お姉さんに電話して」と電話番号を渡し、その後1度だけ電話があったが、手がかりにはならなかった。

●98年 中国地方にあるレンタルビデオ店店員 
「手首に傷のある男の子で、現在の伸矢くんの想像写真にそっくりの少年が、『タイタニック』のポスターを買っていった。
少年は店の出入り口付近で、まるで監視しているかのように立っているヤクザ風の男に『タイタニック』のポストカードを見せ、”これでいいの?”といった感じで確認した後、レジに来た」応対した店員はすぐに店長に報告。
店長は表通りに2人の姿を捜しに走って行ったが、すでにその姿はなく、警察に通報したという。
その後の手がかりはなし。

●00年 圭子さんの親友の知り合い 
「伸矢くん失踪の翌月、徳島県の日和佐の海岸で伸矢くんらしき男の子を見た。30代後半の男が子供を抱いているのだが、親子にしては不自然な感じを受けた。親なら子供に何かしら話しかけたりするものだが、まったく言葉をかけたりしなかった。男の子の顔も伸矢くんによく似ていた」
目撃者は徳島育ちで、伸矢くんが行方不明になっていたことを当時から知っていたので、男の子の顔を覗き込んで確認しようとすると、男は子供を隠すように姿勢を変え、その場から白い乗用車に乗って立ち去ったと言う。


●平成元年4月の終わりか5月の終わり
徳島県海部郡日和佐町(現・海陽町)にある弁天浜で伸矢君によく似た子供を抱いて海を見ていた不審な30代後半くらいの男性を目撃したという情報がある。
目撃者がもしかしたら伸矢君なんじゃないかと思って一生懸命顔を覗き込もうとしたが、その男は体の向きを変えて絶対に子供の顔を見せようとしなかった。
男は車に乗って逃げるようにその場を離れた。
日和佐は北朝鮮の船が来航する港の一つである。




1984年4月13日生まれで、現在は35歳になっているはずです。左利きで、左眉の上に米粒大の傷があり、鉄道好きだったそうです。

2019年現在では松岡伸矢君かと思われていた和田竜人さんもDNA検査で別人との結果が出ています。

有力な情報をお持ちの方は下記にリンクにお願い致します。


徳島県警察 「情報提供のお願い」
https://www.police.pref.tokushima.jp/03jyouho/fumei.html


特定失踪者問題調査会
https://www.chosa-kai.jp/archives/missing/%E6%9D%BE%E5%B2%A1%E3%80%80%E4%BC%B8%E7%9F%A2




【僕の考察】

いかんせん事件発生から年数が経っており、僕もネットの中の情報でしか状況整理をするしかない状態です。

既出の情報を整理して考察してみたいと思います。

一番に気になったのは、どうやって松岡伸矢君はいなくなってしまったのか?です。
高い可能性としては・・・

●誘拐された
●自ら移動での遭難

が思い浮かびますが、警察犬も導入したとの情報があったので遭難であれば追う事は可能だと思います。
ネット上での情報では『テレビで放送されていたが、警察犬の追跡で匂いが消えた場所は林の中で車が通れるような道は無かった』との事、ぷっつりと途絶えたみたいです。 (これに関しては映像で確認出来ず。)

これだけの人数を動員して4歳児の行ける範囲はとっくに捜査しているはずなので遭難の可能性は限りなく低いと思っています。
(遭難の場合いまだに発見されないと言うのは考えにくい。)



そして誘拐に関してですが、証言の状況どうりならばかなり困難ではないかと思います。
松岡さん一家が親戚宅に到着したことや、伸矢くんがいたことは外部に知られおらず、失踪時、100m離れた畑で農作業をしていた人も車を見かけなかった。とあります。

つまり犯人は徒歩で誘拐したことになりますが、4歳児を徒歩で誘拐と言うのは結構難しいのでは・・・泣いたり騒いだりもあるかもしれませんし、伸矢君が失踪してから正伸さんは直ぐに捜索しています。

周辺の地図も見てみましたが山の中にアスファルトの峠道が走っているという様な感じで、当時とは状況が違うかもしれませんが、徒歩による誘拐であれば途中で発見できる可能性もある様な感じです。

恐らく車での誘拐の可能性が高いのではないでしょうか?
それか誘拐場所近くに行くのは徒歩で、少し離れた場所に車を停めていたか・・・
はたまた、アスファルトの道を通らず山の中の藪道に入って行ったか・・・


ただ、『松岡さん一家が親戚宅に到着したことや、伸矢くんがいたことは外部に知られていない』とある事から、計画性はなく突発的な犯行の可能性が高いのではないだろうか?


ひょっとしたら土地勘のある人物の犯行という線もある。


しかし、『家の玄関までの10メートルほどの石段を登った玄関先まで伸矢くんがついてきていたことを正伸さんは記憶している』とある様に、高さがあると想像出来るので恐らく玄関は道路からは見えないのではないだろうか?

誘拐犯はわざわざ10メートルの程の石段を登ってから、玄関先にいる伸矢君を誘拐した事になる・・・
伸矢君が1人になるというタイミングは偶然であり、狙って作れるものでもない。
石段を登る家族を見ていた犯人が、伸矢君が1人になったのを見て即座に誘拐したのだろうか・・・?



北朝鮮の工作員による拉致説もありましたが、子供を抱いた不審な男性が目撃された弁天浜付近は、北朝鮮の船が来航する港の一つといわれています。
とにかくこの行方不明事件は、誘拐であれば手際が良すぎて痕跡もほとんど残さない犯行で『場慣れしている』感があります。


北朝鮮の拉致説が有力かもしれません。



通常であれば犯行の痕跡が残ってもおかしくないですが・・・とにかく不可解で不思議です。

いつか真相が明らかになる事を切に願っています。


『参考文献』


二見書房 「公開捜査 消えた子供たちを捜して!」 近藤昭二


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